今回は、平成初期の連チャン機全盛時代のパチンコを語る上で、よく挙げられる「春一番」だ。

ご冥福をお祈りいたします・・・
ではなくて「春一番」である。

こちらも一名既にお亡くなりなんですよね・・・
今回の記事は「春一番」である。

↑春一番(西陣)
大当たり確率1/235
賞球7&15 継続16R 数珠つなぎ連チャン機
90年のパチンコ内規改正によって、パチンコのシマ模様は大きく変わった。
内規改正前までの、パチ屋のシマ構成といえば概ね「デジパチ5・羽根物4・一発台権利物1」といった割合が平均的だった気がする。異論のある人もいるでしょうが、あくまでも私見です。
ところが内規改正後には「デジパチ8・羽根物1.5権利物0.5」といったところであろうか・・・特に改正直後は権利物はゼロという店も多かったように思う。とにかくポイントとしては、デジパチの割合が増え、羽根物は減ったということ。
前置きがかなり長くなってしまっているが、春一番を発表した西陣は、旧要件時代は特に羽根物で存在感を出していたメーカーである。パチンコ大賞・マッハシュート・スケボーキッズ・すし五郎・おジョーズランド・もちあげ隊・・・あげれば本当にたくさんの魅力的な羽根物機種を排出してきたメーカーだ。
時代が新要件になり、業界全体として羽根物の勢いはなくなり、結果として西陣の勢いも衰えたように思う。羽根物の勢いが衰えた結果、西陣も新要件になりデジパチを多く発表しているが、他メーカーから遅れをとる場面も多かったように思う。
顕著な例が液晶デジパチだ。パチンコ初の液晶テレビ搭載機を平和が麻雀物語で発表してから、他メーカーもそれに続いて次々に液晶テレビ搭載のデジパチを発表してくるのだが、西陣が液晶テレビ搭載のデジパチを発表するのは、平和が発表してから約2年が経過した後だった・・・・しかも、麻雀物語よりも画質の荒い、明らかに安っぽいものだった・・・

↑麻王(西陣)
西陣初の液晶テレビ搭載デジパチ
確率1/238の保留玉連チャン機
コア21下通り店でのみ実践経験ありなのだが、外見があまり好みではないうえ、連チャンシステムを知ってからは打つ気が失せてしまい、あまり打たずに終わった台。
↓麻王の液晶


↓麻雀物語の液晶


どちらがきめ細かいかは一目瞭然だろう。
春一番は、麻王に続く西陣の液晶テレビ搭載デジパチ第2弾にあたる訳だが、相変わらずというか、麻王から液晶の進歩はほとんどなく、チープで荒い表示だった。
機種名は春一番なのだが、なぜだか液晶で表示される図柄は花札・・私はこの手のことに詳しくないのだが、春一番という言葉と花札って、何か関連性あるんですかい??

↑ご覧の通りの花札図柄・・・液晶は荒い
ちなみに花札はパチンコの題材としてはよく使われている。デジパチの表示が7セグやドットの時代には表現力の制限から花札を表示させるのは難しかったと思われるが、液晶テレビが搭載されるようになってからは特に増えた題材ではないかと思う。

↑ピカイチ天国(豊丸)
豊丸の液晶搭載テレビ搭載パチンコ第1弾
春一番よりもはるかにキメの細かい綺麗な液晶表示だった。過去に記事掲載済

↑エキサイトカムカムAW(ニューギン)
液晶ではなくドラムだが、新要件の初期に出た機種
色々と怪しい疑惑のあった台だが、真偽のほどを自分は確認していない。
表記に花札が使われていた。

↑フィーバー花札GP(三共)
時代としては、このブログで想定している期間(概ね平成2年~6年か又は7年くらいまで)を少し外れるのかなとは思うが・・・三共の現金機確変デジパチ。細やかな液晶で、表示が機種名通り花札になっていた。
春一番に関しての雑感が次々に出てくるわけであるが、当時の私はそんなに細かいことは考えておらずご対面することとなった。
時代背景としては連チャン機全盛時代なわけだが、その時代でも2パターンの時期があると私は考えている。旧要件の豊丸のドンスペシャルBや、三共のフィーバーレクサスⅤから始まるパチンコ連チャンの時代は、初期はとにかく「保留玉連チャン」であった。
大当たり終了後の4回転の間にもう一度当たることに人々は熱狂し、またメーカーもそのような機種を次々と発表していった。

↑ドンスペシャルB(豊丸)
パチンコの保留玉連チャン及び攻略法を世に知らしめた歴史的機種

↑フィーバーレクサスⅤ(三共)
ドンスペと同様であるが、初当たり時の出目とラインが全く同じ状態で連チャンするというのがインパクト大であった。
ドンスペシャルの場合は初当たりの確率を下げる(1/324)ことで連チャンしやすい仕様にし、そのことでインパクトを強く与えたという効果がある。
表向きは「保留玉連チャンは禁止」というのが業界のルールであり、メーカーも連チャンの仕組みを思い切りプログラムに書くということはなく、様々な手法を凝らして連チャンをさせていたし、そういった事情があったからこそ攻略も生まれていったといえるだろう。
保留玉連チャンで業界は盛り上がりに盛り上がったのだが、それが行き着くところまで行き着いてくると、今度は「保留玉で連チャンすることもあるが、数回転~数十回転で当たりやすい」という、「数珠つなぎ連チャン機」という物が生れてくるようになった・・・春一番は、ちょうどその過渡期位のタイミングで登場した機種だったように思う。続きは次回!

ご冥福をお祈りいたします・・・
ではなくて「春一番」である。

こちらも一名既にお亡くなりなんですよね・・・
今回の記事は「春一番」である。

↑春一番(西陣)
大当たり確率1/235
賞球7&15 継続16R 数珠つなぎ連チャン機
90年のパチンコ内規改正によって、パチンコのシマ模様は大きく変わった。
内規改正前までの、パチ屋のシマ構成といえば概ね「デジパチ5・羽根物4・一発台権利物1」といった割合が平均的だった気がする。異論のある人もいるでしょうが、あくまでも私見です。
ところが内規改正後には「デジパチ8・羽根物1.5権利物0.5」といったところであろうか・・・特に改正直後は権利物はゼロという店も多かったように思う。とにかくポイントとしては、デジパチの割合が増え、羽根物は減ったということ。
前置きがかなり長くなってしまっているが、春一番を発表した西陣は、旧要件時代は特に羽根物で存在感を出していたメーカーである。パチンコ大賞・マッハシュート・スケボーキッズ・すし五郎・おジョーズランド・もちあげ隊・・・あげれば本当にたくさんの魅力的な羽根物機種を排出してきたメーカーだ。
時代が新要件になり、業界全体として羽根物の勢いはなくなり、結果として西陣の勢いも衰えたように思う。羽根物の勢いが衰えた結果、西陣も新要件になりデジパチを多く発表しているが、他メーカーから遅れをとる場面も多かったように思う。
顕著な例が液晶デジパチだ。パチンコ初の液晶テレビ搭載機を平和が麻雀物語で発表してから、他メーカーもそれに続いて次々に液晶テレビ搭載のデジパチを発表してくるのだが、西陣が液晶テレビ搭載のデジパチを発表するのは、平和が発表してから約2年が経過した後だった・・・・しかも、麻雀物語よりも画質の荒い、明らかに安っぽいものだった・・・

↑麻王(西陣)
西陣初の液晶テレビ搭載デジパチ
確率1/238の保留玉連チャン機
コア21下通り店でのみ実践経験ありなのだが、外見があまり好みではないうえ、連チャンシステムを知ってからは打つ気が失せてしまい、あまり打たずに終わった台。
↓麻王の液晶


↓麻雀物語の液晶


どちらがきめ細かいかは一目瞭然だろう。
春一番は、麻王に続く西陣の液晶テレビ搭載デジパチ第2弾にあたる訳だが、相変わらずというか、麻王から液晶の進歩はほとんどなく、チープで荒い表示だった。
機種名は春一番なのだが、なぜだか液晶で表示される図柄は花札・・私はこの手のことに詳しくないのだが、春一番という言葉と花札って、何か関連性あるんですかい??

↑ご覧の通りの花札図柄・・・液晶は荒い
ちなみに花札はパチンコの題材としてはよく使われている。デジパチの表示が7セグやドットの時代には表現力の制限から花札を表示させるのは難しかったと思われるが、液晶テレビが搭載されるようになってからは特に増えた題材ではないかと思う。

↑ピカイチ天国(豊丸)
豊丸の液晶搭載テレビ搭載パチンコ第1弾
春一番よりもはるかにキメの細かい綺麗な液晶表示だった。過去に記事掲載済

↑エキサイトカムカムAW(ニューギン)
液晶ではなくドラムだが、新要件の初期に出た機種
色々と怪しい疑惑のあった台だが、真偽のほどを自分は確認していない。
表記に花札が使われていた。

↑フィーバー花札GP(三共)
時代としては、このブログで想定している期間(概ね平成2年~6年か又は7年くらいまで)を少し外れるのかなとは思うが・・・三共の現金機確変デジパチ。細やかな液晶で、表示が機種名通り花札になっていた。
春一番に関しての雑感が次々に出てくるわけであるが、当時の私はそんなに細かいことは考えておらずご対面することとなった。
時代背景としては連チャン機全盛時代なわけだが、その時代でも2パターンの時期があると私は考えている。旧要件の豊丸のドンスペシャルBや、三共のフィーバーレクサスⅤから始まるパチンコ連チャンの時代は、初期はとにかく「保留玉連チャン」であった。
大当たり終了後の4回転の間にもう一度当たることに人々は熱狂し、またメーカーもそのような機種を次々と発表していった。

↑ドンスペシャルB(豊丸)
パチンコの保留玉連チャン及び攻略法を世に知らしめた歴史的機種

↑フィーバーレクサスⅤ(三共)
ドンスペと同様であるが、初当たり時の出目とラインが全く同じ状態で連チャンするというのがインパクト大であった。
ドンスペシャルの場合は初当たりの確率を下げる(1/324)ことで連チャンしやすい仕様にし、そのことでインパクトを強く与えたという効果がある。
表向きは「保留玉連チャンは禁止」というのが業界のルールであり、メーカーも連チャンの仕組みを思い切りプログラムに書くということはなく、様々な手法を凝らして連チャンをさせていたし、そういった事情があったからこそ攻略も生まれていったといえるだろう。
保留玉連チャンで業界は盛り上がりに盛り上がったのだが、それが行き着くところまで行き着いてくると、今度は「保留玉で連チャンすることもあるが、数回転~数十回転で当たりやすい」という、「数珠つなぎ連チャン機」という物が生れてくるようになった・・・春一番は、ちょうどその過渡期位のタイミングで登場した機種だったように思う。続きは次回!