前回のブログで少しだけ予告をしたが、今回は「思い出の店・子飼娯楽センター」がテーマだ。
グーグルマップで確認したところ、現在地はこのような状況・・・
悲しい程に、当時の面影が全くない。
ここに昔パチ屋があったとは想像もできない状況だ。
上の最初の写真の右側に広がる空間が、子飼本町名物のスクランブル交差点で、その東の方角の角には、私が熊本にいた当時は「万ごろう」というお好み焼き屋があり、その隣が1階は大衆理容という床屋で2階は「HERO」という名のスナックの建物・・・そしてその隣が「子飼娯楽センター」というパチンコ屋だった。
角の建物が、昔はお好み焼き屋だった。
私が熊本の地で暮らすことになった時、この子飼本町スクランブル交差点には、子飼娯楽センターを含めて3軒のパチンコ屋が密接していたのだが、その全てが現在跡形もない・・・・
ここも、昔はパチンコ屋で、同じく2軒並んでいた。床面積等の関係で、当時の2棟の建物が、そのまま現在の2棟に当たるのかは不明。
しかし、私が熊本に来た時点で、右側の建物のパチ屋は、建物は存在していたが既に閉店していた。
左側の建物は、このブログに何度か登場している「大阿蘇」というパチンコチェーン店のひとつで、普通に営業していたし、私も何度か実践経験がある。
以前に少しブログに書いたが、当時大阿蘇グループには怪しい噂があり、それを信じ込んでいたわけではないのだが、実際に大阿蘇でいい思いをしたことはほとんどないため、経験は少ない。
ここは特殊景品が硯(すずり)だったことを覚えている。
単価が昔とあまり変わらないようで・・・3万円分位の出玉を獲得すると、特殊景品の量が半端なく多くなり、換金の小窓に1回では入りきらない位だった。
大阿蘇は、私が熊本を去る前に閉店したのだが、子飼娯楽センターは、私が熊本を去った直後に火事で焼失したという話を聞いた。
どのような状況で火事に至ったのかとても気にはなっている。
子飼娯楽センターは、以前にブログに書いたコア21とは異なり、非常に庶民的なホールで、昭和の雰囲気が漂う「近所の人たちの集う場所」といった趣の店だった。
店は小さく非常に狭い。
しかし、馴染みの顔・雰囲気がそこにあり、「フラッと立ち寄れる店」として、私はとても好きだった。
私が熊本で最も行った店は間違いなくコア21なのだが、子飼娯楽センターとエンペラー竜田店のどちらかが第2位になると思う。
子飼という町が、商店街を代表に「人情の街」という風格があり、店もそのようになっていたと思う。
子飼娯楽センターは、入り口に店長だと思うのだが、格言(川柳)が手書きで書いてあり、時折内容が更新されていた。
これがまた人情味溢れるもので、とても面白かった。
パチンコは、羽根物は3000個定量、デジパチはラッキーナンバー制だが、出玉の少ない機種を無制限で営業することが多かった。
店の面積が狭く、ひとつのシマも短いのだが、設置機種はその割に多かった。
設置時期の考慮はなしにして、子飼娯楽センターに設置されていた機種を以下に記す。
・マジックカーペット(三共)
↑マジカぺは、セルが複数あったが子飼娯楽センターに設置されていたのは↑のパターン。
100円で当てたこともある。長く設置されていた。
・ビッグシューター(平和)
↑マジカぺよりは人気がなかった。
人間の書かれたセルもあったが、それはエンペラーに設置されていた。
・サーカスロボ(奥村)
マイナー機種になると思う。
ピエロ風の役物が、お手玉アクションを見せる面白い台。
写真を持っている方、見せていただけると有り難い・・・
・ピカイチ天国2(豊丸)
最初のピカイチ天国の無制限バージョン。
初当たりの確率が良くなっていたが、大当たり判別は、従来通りだった。
↑子飼娯楽センターでは大人気機種だった。
時々ヘソに玉が引っ掛かる位、ヘソは極限まで閉められていたのが印象的。
・フィーバースパークCX(三共)
↑どこからか安く仕入れたのか・・・設置されたのは、明らかに時期外れだった。
自分の大好きな機種だったので、設置された時はたいそう嬉しかった。
・ダービー物語(平和)
↑前回書いた、「店員が当ててくれた」のはこの店にあったダービー物語
・宝島(京楽)
↑7で当たれば、以後5回当たるまで確変!なのだが・・・
7で当たらないと、確率1/235のノーマル機なので、勝つのは苦しい。
・ハロウィン(三洋)
↑体感器攻略のあった機種だが、自分は未体験。
確率1/205のノーマル機。
・風林火山(平和)
↑ヘソが三角釘になっている一風変わった機種。
賞球6&13で継続は13ラウンドまで。出玉は少なく1600個というのも変わっている。
リーチ中に点灯した保留玉が当たりやすい連チャン機。
単発回しをしていると、ハズレリーチがかからない。(=リーチがかかれば必ず当たる)
当時の平和の機種「舞羅望烈火」に似ていた。
九州限定設置だったようである。設置は多くはなかったが、子飼娯楽センター以外でも見たことはある。
・スーパープラネット(山佐)
↑スーパープラネットは、盤面デザインが複数あったが、子飼娯楽センターにあったのは、写真の白パネルだった。
どれが正規の姿なのか分からない無茶苦茶な3号機パチスロの時代に、最後まで「潔白」だった山佐の傑作台。
とりあえず・・・思い浮かんだものを挙げた。
狭くて小さなカウンター・・・タバコの煙がモクモクと上がる狭い店内・・・
今もしあれば、滅茶苦茶貴重な財産になると思われるので、ないのは非常に残念である。
当時客にいたおじちゃん、おばちゃん、学生たちは、今頃どうしているのだろうか・・・