私がパチンコを始め、夢中になっていた90年代初頭・・・

これまでに何度もその時代のことを書いてきたわけだが、まだ書いていなかったことを中心にここで書きたい。


もしかしたら今もなのかもしれないが・・・私がパチンコをよく打っていた頃は、パチ屋のシマの間の通路等にタンを吐く奴がいた。

当時の自分でも、非常識な奴!!と思っていたが、複数そういう人種がいた。

あれってなんなんだろう・・・神経を疑う。


羽根物は定量制が一般的で、無制限の店はゼロではなかったがほとんどなかった。

羽根物のシマにある箱は、ドル箱ではなく小箱と呼ばれ、800個程度の玉が入った。

パチスロのシマも小箱を置いている店が多かったと思う。

羽根物の終了個数は、3000~4000個が一般的で、そこまで出玉を出すと、嬉し恥ずかし「打ち止め」か「終了」という札を付けられていた。



この札を付けられると、終了なので誰も打つことができないのが基本的なルール。

そして、ある程度時間が経つと、店側が打てるようにしてくれるのが一般的だった。

終了台というのは、終了するまでの出玉はあった台ということ。

デジタルの台と違い(デジタル台にまでこの考え方で営業する店もあったが)、羽根物で終了をしたということは、これからも出る可能性が高いということを意味していた。

なので、終了台が開放されると台の取り合いになったものである。


終了させた張本人が、もう一度打つことはタブーであったが、図太い奴はちゃっかり座る者もいた。

店によっては、終了した際、500円分の玉を借りればそのまま継続して打てるというルールの店が多かった。パチ屋の世界・・・金で解決である。

羽根物は、熊本市竜田のニューエンペラーでよく打っていて、中でも一番打っていたのは「うちのポチⅡ」



この機種は賞球5&10で、最大8回継続。継続率は高かったが、賞球が少ないので出玉は少なく、完走しても300~400個位の出玉だった。

なので、終了させるには何回も当たりを重ねなければならず、それゆえに終了した時の達成感は、現在のパチンコでは味わえないものがあったと思う。

終了札を付けられると、店員から「継続しますか?」と尋ねられる。

この時は、非常に悩む時である。

何度か500円追加して継続して打ったことがあるが、さらに出玉を増やしホクホクになったことは少ない。

最悪のパターンは、終了までに獲得した3000個余りの玉を全部飲まれてしまったこともある。


パチンコのスランプというやつを実感した時だった。

自分は基本的にオカルトは好きではないのだが、実際に自分が、さっきまであんなに調子よく出てたのに急に出なくなった!ことを何度か経験すると、この方が偉大に思えてきたものだ・・・・



故・田山幸憲氏

パチンコ必勝ガイドに連載されていた氏のパチプロ日記の中には「○個落ち」「食い付いた」「冷やかし」「エサが足りねーぞと台が言っている」等々・・・独特の表現で、科学的な根拠はないオカルトなのだが、哀愁漂う表現で多くの読者を虜にしたが、自分もその一人だ。


ポチは出玉が少ない機種なので、それほどスランプはきつくない部類なのだろうと思うが、それでもスランプに泣かされたことは多い。

時代が新要件になり、ニューモンロー等が台頭し始めると「終了」の重みがなくなっていった。

たまたま連続でV入賞した台が打ち止めになってしまうことがあるからだ。



↑ニューモンロー(西陣)

パチプロ日記にもよく登場した、新要件の羽根物だが、従来よりも格段に出玉が増えた。

羽根物の権利物化・一発台化とも呼ばれた。

羽根物がのんびり遊ぶ機械ではなくなった、大きな内規改正であった。

一時的にはパチンコファンからは歓迎されていたように思うが、次第に従来路線に近い形にはなっていった。

自分は、このモンロー時代の羽根物は好きではない(サンダードラゴンGPや名人会等)実際、あまり打っていない。

同じようなパチンコファンが多かったのか、次第にマイルドな台も登場するようになり、自分もその傾向になった台を打つこととなった。


さて、今回は機種紹介のための記事ではないのだった。

続きはまた次回!