前回記載した、思い出の店エンペラーについて、おでんさんより補足と指摘をいただきました。

ありがとうございます。


パチスロは、リバティベルⅣではなくて、リバティベルⅢではないかとのこと。

私の記憶ではリバティベルⅣだったのだが、当時私はエンペラーでパチスロはしていない。

あくまでもシマチェックでの記憶なので、記憶違いだった可能性が高いと思われる。

ということで、当時のエンペラーに設置してあったスロットはリバティベルⅢだったのだろうと思う。

お詫びします。


リバティベルⅢは赤パネルと青パネルがあったが、青パネルではなかったことは、おでんさんの仰るように 間違いない。



また、記載しなかったこととしては、貸し玉料金は4円(当時は全てそうだった)

換金は2.5円

スロットは7枚交換だったと思う。

当時はパチンコもスロットも、熊本では等価の店など皆無だった。


画像がなくて申し訳ないが、札の両替は、札を横にしていれるタイプだった。

当時は通路にパチスロのメダル貸し機もあり、両替機と外観が似ていたので、間違う客も多かったようである。

パチスロを始めたきっかけが、「両替機とメダル貸し機を間違えて・・・」というのが当時の人によくあるパターンだったが、私は違う。


ジェットカウンターに玉を流すのは、客が自分でやるのがエンペラーに限らず当たり前だったが、玉を流した後に出てくるレシートが、エンペラーは特徴的だった。

これも写真がなくて申し訳ないが、幅2センチ位の紙にデータがパンチ穴で空けられた細長~い紙だった。

前回のブログに書いた通り、エンペラーではパチンコは無制限になることはなかったので、出玉を一端交換する機会は多かった。

カードや、通常のお店にあるようなレシートではなく細長い紙だったので、扱いがめんどくさかったのを思い出す。

特殊景品に交換するまでの間、折り曲げて財布に直していたが、かさばってしょうがなかったものだ。