新要件初期に打った台の一つとして、奥村のドリームジャンボがある。

馬並の青春の軌跡

某宝くじを連想させる機種名だが、全く無関係で、出玉性能がジャンボなのかというと、大当り確率1/225賞球6&12アタッカー開放16回の出玉は1800個程・・・確率変動も連チャンもなしという、ジャンボとは程遠い内容で、大勝ちは望めない、今で言うところの遊パチに近い物であった。相当回らないと、安定的な勝ちすら望めない仕様だ。

デジタルが、特徴的な4桁デジタルで、これが当時としては大きめだったためにジャンボと付けたと思われる。
後に確率を少しだけ上げて賞球を増やしたドリームジャンボ2という機種が登場した。

デジタルは、奥村らしい赤の単色ドットだったが、奥村の象徴だったリンゴマークは採用されていない。
左と、左から二番目の出目は1~9の数字のみで、残りの二つの出目には、それプラス、オールマイティ図柄の「当」マークがあった。
同数字と「当」図柄の組み合わせで大当りとなり、表面上の確率も1/225になる。
リーチは左から二つ揃った時点で、左から三番目が一コマずつ動き、それもテンパイしたら一番右のデジタルも一コマずつ・・・という仕様で、三つテンパイした後が当然熱く、表面上の確率は2/10、実際もそれに近いと思われる。

ドリームジャンボは辛めの台だったせいか、ゲージはとても甘いものだった。
デジタルの両脇には、デジタルを覆うようにプラスチックのケースがあり、打ち出した球のほとんどをこの部分に集められる。
ケース内に入った玉は、全てヘソに向ってアタックするので、ヘソ周辺の釘はマイナス調整になっている台ばかりだった。

そんな中で、忘れられない出来事は「ぶどう事件」だ。
釘に玉が引っかかって、後続の玉が次々に上に乗っかった状態のことをぶどうと呼ぶが、ドリームジャンボのヘソからデジタル脇のケースに次々に玉が溜まってぶどうになったことがある。
打ち出した玉がケースに入ると、次々に玉を押し出し・・・ヘソにポコポコと入っていく・・・当たらなくてもヘソ入賞だけで玉が増えるウハウハ状態になったことがあるのだ。

打ったのは、熊本市上通りアーケード内にあった大統領という店だった。
普通に打ち出していたらどんどん玉が増えてしまう状態になったため、時々打ち出しを停止しながらそろりそろりと出玉をドル箱に移して打っていた。
店員に見つかれば注意されると思ったので、ある程度増えたとこで当たってくれ~と願ったものの、なかなか当たらない。
うまいこと見つからないまま、ドル箱に500個程移した時、とうとう店員に見つかってしまった。

自分は、ここに毎日通うような常連でもなかったが、大劇でのバイト帰りなど、時々打っていた。
いつもはにこやかなおじさん店員が、この時ばかりは一変して鬼の形相に変わった!!
500個程入ったドル箱をサッと取り上げると、台の裏側の裏玉にザァ~っと流してしまった。
「何で言わないんだ!!」とおじさん店員・・・ただ黙る自分・・・おじさんは引き上げていった。
さすがにこの程度で出入り禁止はなかったが、かなり重い空気に包まれてしまった。
下皿にも玉をぎゅうぎゅうに詰めていたのだが、それも没収され、残ったのは上皿の玉だけ。
当然のように打った・・・今までのも含めて、かなり回したのだが大当りは来ず、いや~な気持ちで帰ったのがドリームジャンボの一番の思い出である。