たしか・・・、ジブリのアニメだったと記憶してますが主人公の女性が小学生時代を回想するシーンが
ありました。
分数の割り算の方法・・・、何故後ろの分数を上下ひっくり返して掛け算するのか、主人公はそのことに
こだわりすぎて肝心の分数の割り算が苦手になり、算数嫌いになったとか。
何も考えず「それはそーゆーもの」と疑問を持たず、機械的に計算していった子供の方が算数嫌いに
ならず、その後も成績が伸びた、って話。
私はこのシーン「そうそう!」って思って見たのでよく覚えています。
確かに現実の世界で、ある物体を2つとか3つとか整数で割るなら理解できますが
「分数で割る」
なんて言われたら頭が????って感じですよね。
これも数式ではちゃんと証明できますが、だから何?って感じになります。
でもこのシーンで気がついたのは、
物事をまずは自分の頭で考え「あれ、おかしいな?」って感じることが大事なのではないか、
ということ。
またまた前置きが長くなりました。<(_ _)>
人が人である以上、思考をめぐらし、理性で制御し、時として感情に流されたりするものです。
それがいわゆる「人間らしい」行動だと思います。
しかし、停滞し閉塞感漂う時代、取り巻く環境によってその「人間らしさ」がいとも簡単になくなって
しまうことがある、という現実を映画 「ハンナ・アーレント」は強くうったえています。

真実を知る者はいつだって憂鬱なのかも・・・。
実話に基づいたこの作品、1960年、元ナチス高官アドルフ・アイヒマンがアルゼンチンの路上で
イスラエルの諜報機関に拉致されるところからはじまります。
ドイツ系ユダヤ人のハンナは自身も過去にナチスによって拘留所に拘束された経験をもっていますが
後に夫と共にアメリカに逃れています。
さてナチスがユダヤ人ホロコーストを行い、戦後その高官アイヒマンがイスラエルで裁判される、という
ことを知ったハンナは裁判を傍聴、さらにこのアイヒマンについて調べれば調べるほど、その人物が
あまりにも凡庸な、どこにでもいる普通のタイプであることがわかり、驚愕します。Σ( ̄ロ ̄;)
ナチスに対して持っていたイメージである「危険」とか「凶暴」という表現は全く当てはまりません。
アイヒマンはただひたすらに「役人」として上からの指示を忠実に実行していただけ。
彼は自分の業務になんら疑問ももたず、自身の判断や私情すら挟まなかった、ということです。
アメリカの大学で教鞭をとり、政治哲学者でもあるハンナはこの事実に悩みながらも、
アイヒマンの大量殺戮は上記のような人間の思考停止状態によって引き起こされた、
いわゆる「悪の凡庸さ」によるものである、と説いてニューヨーカー誌に掲載。
すると現在(1960年当時)イスラエルにいるユダヤ人でハンナの同胞は収まりません。
かつての友人や同胞から裏切り者呼ばわりされ、脅迫めいた行動をとられたりするのは数しれず。
しかし、自分の研究に揺るぎない自信のあったハンナは苦悩しながらも、ユダヤ人ホロコースト
の真の原因が「凡庸さ(思考停止)」にあり、決してナチスだけに止まらない問題として訴えつづける
のでした・・・。
今や日本の政治家、官僚、学者、医者など社会的身分の高いとされているポストには高学歴の御仁が
いらっしゃいますが、現代の受験には思考は必要ない。
必要なのは受験テクニックと暗記力だけ。
つまり高学歴ってことはいかに思考停止になれたかってことで、まさにアイヒマンになっている可能性大。
そんな日本は果たしてこれから大丈夫なのか、現代社会に一石を投じた作品。
つづく