肝心の題名を忘れてしまったけど、夫婦2人で夏頃、とある公民館的な施設で映画を観た。
「無料だから」ということで観に行ったのんだけど、上映された場所が山間部の施設であったので
観客も地元の農家らしきご年配の方々が多く、全員で150名、といったところでしょうか。
わざわざ山間部で上映されたのには意味があり、映画の主旨に沿い、観る側に臨場感を味わせるねらい。
というのも映画の内容は、山間部で暮らす老人に都会の高校生が一定期間会いに行き、そこでの老人の
仕事や暮らしを体験し、自らの将来の糧とする、みたいな感じ。
監督のねらいとしては、過疎化のすすむ地域に暮らす老人が仕事を通して人生の機微を若い世代に伝え、
また高校生もそれら「非日常」から人生にとって大事なものを受け取ることができる、という美しい世代間の
バトンタッチを演出したかったのではないかと思う。
映画では計4組の老人・高校生が各々違う地方で話が進んでいくのだが、多少の個人差はあるものの概ね
4組の展開は同じであった。
一番私が覚えている女子高生のケースは、とある山間部にする80代とおぼしきおばあさんとの体験。
その小柄なおばあさんは実は焼き畑農業のプロで、地元でも有名。
嫁に来たときから、ということなので農業だけでなく山のありとあらゆる事を知っている。
そして80代とは思えないほどその言動からパワーがあふれている。
さて、ここに「体験入学」してくる女子高生。
いかにも現代の高校生という感じで、屈託のない笑みを浮かべこれから臨む体験についての心境を
述べている。
その雰囲気からそこそこ優秀で、平均的な学生より好奇心も自信もあるように見えた。
こういうノンフィクションの映画に出ようという気持ちがあるだけでも平均的な学生よりチャレンジ精神はある。
さておばあさんと出会い、挨拶を済ませ、山を体験するわけだがどうもおばあさんとこの女子高生の話が
かみ合わない。
そもそも世代も住む場所も違うので、なかなか接点を見いだすのは難しかったのかもしれない。
ただそれらを考慮しても二人の会話はしっくりこない。
80代のおばあさんはスマホやi-Phoneのことは知らないし、現代高校生は山の植物の名前や農機具の
使い方は知らない。
それでも共通の価値観をもとに汗を流せば、教える側、教わる側、相互に貴重な体験ができるはずなのだが
映像からはそれが感じられない。
いや、むしろおばあさんは熱心にその持ち前のバイタリティーで労働の尊さを後世に伝えているのだが、
受け手のアンテナに全く引っかかっていないご様子。
高校生は、おそらくこの出演でレポートを書く必要があるのだろう、野良仕事体験中もカマは手にしているが
ほとんど作業せず、あらかじめ考えていた質問をくりかえしずっと小さなレコーダーをおばあさんに向けていた。
しかしこの体験で一番重要なことはインタビューではなく、おばあさんと共にまずはいっしょに汗をかくこと
である。
それもせずして体験もなにもない。
しかも質問内容も「なぜおばあさんはこんな仕事をしてるんですか?(他に楽な仕事はあるのに)」。
おばあさんが仕方なく「それは生きるためじゃよ」と半ばあきれて答えると全く理解できないご様子。
つまりこの高校生には職業選択は完全に自由であり、彼女にとっておばあさんは野良仕事を
「好きでやっている」ことになる。
映画のなかで「なんで(こんな疲れる仕事が)好きなんですか?」と執拗に繰り返し尋ね、おばあさんは
困っていた。
おばあさんとこの女子高校生、年の差は約70歳ほどあるが、我々日本人はこの年月の間に教育の過程で
人生観や価値観といった基準に大きなズレを生じさせてしまったようだ。
もう一つ気になったことは、現代高校生の万能ツールである携帯やスマホ。
他の組の高校生も得意げにそれらツールを駆使してこの体験レポートを完遂しようと試みているが、
大自然を前にたくましく生きる老人の前では、それら文明の利器はいかにもちっぽけで、それを拠り所と
している高校生がますます弱々しく見えてしまった。
結局映画を見終わった感想は、監督の意図に反して世代間のギャップは相当なもので、老人はパワフル
で生活力があり、現代の若者は生きるために最低限備わっているべき知識や体力、根性すら危うい、
というものになってしまった。
大自然と人間の叡智、若者の息吹が融合する、みたいな主旨とはだいぶズレてたぞ~。
(↑ は私が勝手にイメージしてたものですが・・・。)
つづく