私の高校時代は自転車通学。自転車
 
都会ではないので市外の同級生もほとんど自転車通学。
 
まれに相当遠いところから通学する人は電車で最寄り駅下車、そこから数km自転車。
 
私はその高校の学区外の生徒だったため、結構距離があったのですがそのような生徒は
 
周りにもたくさんいたので何の疑問も抱かず、毎日、雨の日も風の日も通学してました。雨 霧
 
途中、川幅1km以上ある1級河川があったので、冬はその上に架かる橋の路面が凍結し、
 
自転車のタイヤが滑りそうなのを必死にコントロールしながら通学していたのを思い出します。雪
 
 
さてそれから20年ほどの時を経て現在。
 
ウチの甥っ子などは雨の日、風の日、雪の日、寒い日、暑い日、母親の送迎付きです。
 
たまに私が「甘やかすにもほどがある」なんて母親(私の姉)に意見すると、同級生の多くも
 
そのように送迎されているようで、一人だけほったらかしにするのは可哀想、とのたまふ。
 
さらに塾に行くのも送迎付き。あせる
 
そのような厚遇を施してまで教育を受けさせる必要があるのか、なんて思ってしまいます。
 
本人にとって勉強以外のこと、つまり移動やその他煩わしいことは一切考えなくて良い、という
 
環境・・・。
 
どんな人物になってしまうのか・・・。
 
仮に勉強だけし続け、お目当ての学校に入ることが出来たとして、それが一体何だというのか・・・。
 
本人は「僕はがんばった。やれば何でもできる。僕は偉大だ」なんて思うかもしれませんが、
 
それはいわば誰かがお膳立てしてくれたスイカの中心を食べてきただけ・・・。
 
自分でタネを蒔き、汗を流して栽培したのではない。
 
実ったスイカを畑から採ってきて水で洗うことすらしない。
 
自分で包丁をいれ、切ることもしない。
 
誰かがスイカの真ん中をくりぬいてくれたのを食べただけで悦に入っている。
 
 
長々と何でこんなことを書いたかというと、先日読んだ週刊誌に今年の新入社員のイケテない
 
記事を読んだから。本
 
とある大手銀行に今年就職した東大卒社員。
 
上司から研修の一環で「お札を数える」よう指導されてことにキレる。雷
 
「オレはこんなことをしにきたんじゃない!」むかっ
 
ということで入社後すぐに辞職。
 
他にも色々なケースがありましたが、共通しているのは自分への過大評価。
 
幼い頃から家庭で王様として育てられているため、自分というものを客観視する機会なく
 
大人になってしまっている。
 
ましてある程度難関とされる大学を卒業なんかすればそれに拍車がかかります。
 
できる自分が描くイメージと現実が違うとそれを受け入れることができない。
 
かくして、せっかく入ったそこそこ優秀な会社で自分の居場所を見つけられず、去ってしまう。
 
 
結局、その人達は大人になっても相変わらずスイカの真ん中だけを食べに来ているのです。
 
それ以外の部分をあてがわれると「何を無礼な!」というところでしょう。
 
会社が求める人物はいつの時代もがんばってスイカを育ててくれる人なんですけどね。
 
 
つづく