中山道を西から東へ歩く旅キラキラ



32日目となる2026年1月3日は倉賀野宿から本庄宿までを歩いています


倉賀野宿を出て烏川の渡し場跡まで来た前回の続き



渡し舟の無い現代では、柳瀬橋で烏川を渡ります


この橋は車と人が別の橋

車が通る橋の向こうに浅間山


橋を渡り川の対岸に来ました

妙義山、浅間山、榛名山などの山並みが綺麗です



高崎市から藤岡市に入り、中島の集落を進みます



河原のスポーツ広場の脇にある、お伊勢の森


広重の新町宿の絵(↓)はこの辺りを描いたものとの解説があります

(借り物です)

ただ別の資料では、もう少し先の場所ともあり何処かは?です



関越自動車道をくぐった先にある登録有形文化財の川端家住宅

文化庁の紹介ページ 川端家HP



旧道と県道が合流する地点まで来ました


道路脇の弁財天公園・弁財天社にある芭蕉句碑


道路の反対側には日本スリーデーマーチ発祥の地の石碑


展望の案内板もありました


新町の案内板

ちなみに新町は高崎市の飛地になっています


ここから新町宿に入ります



本陣跡

(高崎市内でよく見かけた説明板が立っています)


旅籠 高瀬屋跡

烏川が川留めになり小林一茶が宿泊したそうです


新町宿内の中山道


途中には明治天皇行在所がある行在所公園があり、そこの壁には広重の新町宿の絵のレリーフが


高札場跡

この立札の後ろには中山道には不釣り合いなギリシャ神殿の様な建物のお店が

調べたら ガトーフェスタ ハラダ のお店でした(ここが発祥の地)


松尾芭蕉の句碑



R17と合流する場所にある常夜灯と道標

「右 碓氷峠十一里 左 江戸二十四里」


新町宿をでます

(歩いて来た中山道を振り返って見たところ)



群馬県と埼玉県の県境の手前まで、8.5kmほど歩いて来ました





〜 つづく 〜