私は神社参拝に特別な思い入れがあるわけではない。

でも、長い間、ひとつの疑問がずっと心のどこかにあった。


それは——

「礼の回数や拍手の回数って、別に決めなくてもよくないか?」という、とても静かで、でも拭えない問いだった。


どこの神社でも、だいたい「二礼二拍手一礼」と書いてある。何となく習って、何となくそうしてきた。


でもあるときふと、

「どうして“2”なのか」

「“2”じゃなきゃダメなのか」

という感覚が芽生えた。


(なんじゃこりゃ?懐かしい蓮舫感覚?w)


もちろん、

出雲や鹿島のように、独自の拍数や礼の形を守っている神社もある。


けれど全国の多くは、

明治以降の制度改変によって、

二礼二拍手一礼に“統一”された。


本来は、地域ごと、神ごとに違っていた「神との響き方」が、ある時代に、“国家の秩序に合わせて”整理されたということになる。


そのときから私は、

「これは“祈り”というより、“教育”に近いかもしれない」と感じ始めた。


回数が統一されると、安心はある。迷わなくて済む。

でもその分、個の感覚は抜け落ちる。

“どうすれば響くのか”ではなく、“どうすれば正しいか”へとすり替わっていく。


なかでも「二礼」という所作に、私は強い“距離”を感じてしまう。二回の礼は、国家儀礼における上下関係や、臣民としての“恭順”を表すような形式にも見える。

まるで、魂ではなく「身分」が礼をしているような感覚。


そこに、

魂が入る余地がないのだ。


本来の礼は、神と人とのあいだにある“響き”を整えるための動きだったはず。

深く礼をしながら、魂の奥を静かに整え、内と外が交わる場所をひらくためのものだった。


でも、制度として整えられた二礼は、構造だけが残り、響きのための余白がなくなった。

一礼目は儀礼的に、二礼目は手続き的に。

まるで、魂ではなく「型」が動いているような感じがする。


それが悪いことだとは言わない。

けれど、いつかどこかで、祈りの本質が“自動化”されてしまった気がする。


実は

古神道では、「3」という数が

重要な意味を持っていた。


天地人の調和。

神・人・自然の共鳴。

上中下。顕・幽・神。

そして、祓い・鎮め・和合。


三回礼をすることは、単なる繰り返しではなく、

三層の次元を通って“魂という内なる神を秘めた存在と神が交わる通路”を開くためのリズムだった。

三拍もまた、呼び起こし、響かせ、結びつける振動。

音霊としての働きが、拍手の回数に込められていた。そう考えると、「3」が大事なのは、魂に響かせるための“共鳴の数”だったのではないか、と思えてくる。


でも今の参拝作法には、その響きの自由はあまり感じられない。


礼の回数も拍手の回数も、「決められているからそうする」ものになっている。


それは、明治期に国家と

神社が結びついた時代に、

信仰が“制度”として整えられた

名残でもある。


けれど私は、型そのものを否定したいわけではない。


神社という場所を、世代を越えて静かに守ってきた人々がいる。


その人たちが手渡してきた形式には、表には見えない想いと、守るべきものが宿っている。


たとえば、多くの神社で受け継がれている「二礼二拍手一礼」も、それを丁寧に伝えてきた神職者たちの意志によって、今も保たれているものだ。


だから私は、個人的には三礼三拍手の響きに親しみを感じながらも、二礼を守る神職者たちへの敬意を忘れずにいたいと思っている。


その場の形式を壊すことではなく、その型を守る人々の誠実さを尊重すること。


それもまた、魂と魂の間の“礼”の

ひとつなのかもしれない。


だからこそ、三礼三拍手を自然に行える場所、

たとえば鹿島神宮のような、古式を今も大切にしている場所から始めてみたいと思う。

そこから静かに、自分の中の響きを思い出していく。


それは、制度に抗うのではなく、すでに存在している“響きの場”に、自らが調和してゆくことでもある。

自分の中にある古い記憶にそっと触れながら、同時に、今そこにいる誰かの守りを感じて、礼を捧げる。


祈りとは、きっとその両方を同時に抱く行為なのだろう。形式と自由。記憶と現在。守りとひらき。

それらが溶けあって、ふたたび“響き”が生まれる。


内なる神とつながる作法は、

あなたの奥で、もう知っている

はずだから。

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