ある日、ふと噴き上がった。
「私だけが幸せであればいい。他人のことは知ったこっちゃねー」
あまりにストレートで、あまりに生々しい——でも胸の奥がやけにスッキリした。
戸惑ったのは、この声をずっと“悪”だと信じ込んでいたからだ。人としてダメ、スピリチュアル的にもダメ、愛がない、冷たい——そんなラベルを何重にも貼りつけて、
自分で自分を刑務所に入れていた。
「他人を想えない私は幸せになっちゃいけない」
「まず人を助けなきゃいけない」
「自分だけ幸せになるなんて申し訳ない」
そう刷り込まれ、
“他人ファースト”が
正解になっていた。
でもホンモノの声は、抑圧の壁が薄くなった瞬間、勝手にこぼれてきた。身体はゆるむ、呼吸は深まる、空気まで柔らかい。その手応えが“罪ではなく光”だと教えてくれた。
私は気がついた。
この構造は小田桐あさぎさん——アサギスト界隈——が体現している世界そのものだった。
あさぎさんは言う。
「正直に言っちゃえばいい」
「クズな欲望? それが魅力」
「幸せになってないやつが他人を助けようとするな!」(ニュアンスが若干違っていたらすんません)
彼女は自分の幸せを最優先し、他人の期待を笑い飛ばす。しかしその“自己中”ぶりこそが周囲を元気にし、
自由の許可を撒き散らす。
これが大放射コーチング。
アサギスト(あさぎさんの講座生やファン)は、その放射に当たって自分の抑圧を次々と解除し、
「私も受け取っていいんだ!」と
目覚めていく。
ここで浮上するのが「我儘だ」という烙印と、周囲に生まれる嫉妬だ。
我儘認定の背後には三つの無意識プログラムがある。
欠乏ベースの道徳——「幸せは有限だから譲り合え」
優等生戦略——「いい子ほど褒められる」
同調圧力——「皆が我慢してるのに抜け駆けするの?」
この三つが絡むと、堂々と幸せを選ぶ人に警報が鳴り、
“ずるい”という嫉妬が噴き上がる。
嫉妬は封じていた願望の鏡映だ
だから放射する側が光を曇らせないほど、嫉妬した側は自分の抑圧に気づき、自分を許す方向へ動き出す。
光を小さく戻せば共依存が続くだけ。
堂々と立ち続けることが、
実は最高のサポートになる。
霊的構造で見ると
この「私だけ幸せで他人は知らん」は、魂レベルで純度の高い地点だ。
魂の周波数が純化すると他人のノイズと混線できなくなる。過干渉は相手の自由を奪う行為なので、魂はそれを拒む。
「知らん」とは冷酷ではなく、
「あなたの宇宙を信頼して干渉しません」という最大の敬意。
意識の重心が自己に戻ると磁場が整い、干渉ゼロ・放射マックスの状態が起動する。
それは花がただ咲くだけで森に香りを放つのと同じ。
花は誰も助けないが、香りに触れた蜂が動き、森全体が循環する。アサギストが示す“幸せ優先”は、この花の在り方を地上で実践したモデルだ。
嫉妬が燃えても構わない
それは眠っていた種を刺激する炎だ。
自分の光を曇らせなければ、いつかその種も芽を出す。女神界隈で語られる「在るだけで豊かさを放つ」「受け取るほど世界が潤う」は、この地点にこそ根を持つ。
真の女神は自分を罰せず、他者を依存させず、ただ勝手に咲く。だからこそ放射は濁らず、共鳴は強い。
私は本音を許した瞬間、ようやくこの女神的構造を身体で思い出した。
「私だけが幸せでいい。
他人のことは知らん」
この宣言は自己中ではない。魂を信頼し合う静かな貢献であり、嫉妬さえも目覚めの合図に変えるトリガーだ。
アサギスト的放射と女神的在り方の交差点で、
私は私自身のオープナーとしても無論、自分の幸せを遠慮なく引き受けていくよん。
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