チャクラってなんですかね?チャクラってワードが飛び出すと、一気にスピっぽく盛られますねー。チャクラがどうたらセッションとか受けないからチャクラ界隈がどうなっているか探訪しかできないけれども…行ってきたよ
ゼロポイントとチャクラの関係とは?
ゼロポイントとは、「ただ在る」ことの中心。そこには、欲も恐れもなく、意味付けも評価もない。ただ、“あるがままの存在”として震えている純粋な中心点。
そこに一致しているとき、チャクラは魂の意図と同じ方向を向いて回転する。言い換えれば、魂の音階が“からだ”を楽器として奏ではじめる。
しかし、多くの人がゼロポイントに一致していないまま、「チャクラを開く」「高次元と繋がる」「浄化を進める」ということをしようとする。すると、何が起きるのか?チャクラ界隈をスピりっちゃる探訪したよ
ゼロポイントを未達のチャクラワークの結果
感情の増幅だけが起きる
チャクラは波動を“増幅”する装置でもある。
ゼロポイントから外れている=未統合の感情や観念を抱えたまま、そこに“エネルギー”を流すと、未解消のものが拡大再生産される。たとえば、自己否定を抱えたまま第3チャクラに火を入れると、“攻撃的な自立”や“支配的な主張”として現れる。
チャクラが“魂”ではなく“エゴの指令”で動くようになる
本来チャクラは、魂の意図を地上に変換する“回路”なのに、ゼロポイントを外すと、チャクラが「防衛のため」「他者の評価のため」に動き出す。
それは、エネルギーが歪んだまま動く=現実が歪んで創られるということ。
過剰なスピリチュアル感覚が生まれるが、現実が整わない
ゼロに一致していないと、「見える」「感じる」などの能力は上がることがある。だが、それは地に足がついていないままアンテナだけが立った状態。
チャクラの開口部がノイズを拾い、身体が疲れやすくなり、精神は不安定になる。“スピリチュアルに詳しいのに、生活や人間関係が崩れる”のはこのパターン。
人格とチャクラがバラバラに動き、統合されない
ゼロに一致していないとき、チャクラはバラバラに“個別起動”される。愛の第四チャクラは開いてるのに、自己確立の第三が閉じていたり、表現の第五は活性化してるのに、内観の第六は閉じたままだったり――
すると、一貫性のない生き方、矛盾した内面が形成されていく。
最も厄介なのは、「チャクラを開けば魂に近づける」という誤認
ゼロポイントを通さずにチャクラをいじると、
「チャクラ=スキル」や「チャクラ=能力のドア」という幻想が強化される。その結果、チャクラは“魂を通す回路”ではなく、“欲望や不安を叶えるためのスイッチ”として使われてしまう。
それは、
・神聖な設計に逆行し、
・意識の分離を強め、
・本来の魂との合一を遠ざける。
つまり、チャクラは「ゼロ(中心)に触れているときだけ、真の方向に回転する」装置。
ゼロからズレたままチャクラを開こうとすることは、“回転するナイフを手に持ったまま、目を閉じて走り出す”ようなもの。
結論:チャクラは、ゼロからしか本当の役割を果たせない?のか?
チャクラを開くのではなく、ゼロに触れて、まず「ただ在る」ことを思い出す。そこから、自然に響き始める“音”がチャクラを鳴らす。
チャクラが共鳴し機能するとは
“結果”であって、
“目的”ではない。
ゼロポイントに一致するとは、「何もいじらないことで、すべてが整いはじめる地点に還ること」。
そこから生まれる“静かな回転”こそが、魂の設計と地上をつなぐ本物のチャクラワークとなる。
なぜ、中途半端なチャクラワークが存在するのか?
それは、「チャクラを“開く”ことで、今の苦しさを“消せる”」
という幻想に、多くの人が共鳴してしまうから。
本当は、チャクラとは“魂の意図を現実に流すための回路”であって、苦しさをなくす装置ではない。
けれど、誰もが深く傷つき、「この現実を超えたい」「わたしを変えたい」と願っている。その願いに、「チャクラが開けば変われる」という言葉は、とても甘く、魅力的に響く。
しかも、「チャクラを開けば能力が上がる」「願いが叶う」「直感が鋭くなる」といった“成果主義”のスピリチュアルが市場に溢れている。
そこでは、チャクラは“魂の回路”ではなく、まるで“スキルアップのスイッチ”のように扱われてしまう。
スピリチュアル市場にある“早く変わりたい症候群”
多くのチャクラワークは、ゼロポイントや魂の中心と一致せずに「上から流す」か「意図で動かす」。
でもそれは、本当は“変化”ではなく“操作”に近い。
傷ついたインナーチャイルドが、「もう痛くなりたくない」「今のままじゃダメだ」と叫ぶ声に、それらは「簡単に変われますよ」と応えてしまう。
だから、“チャクラが動く”ことで得られる一時的な体感や解放感に頼り、“整っていくプロセス”ではなく、“揺さぶられる快感”を求めてしまう人も多い。
でも、チャクラとは自分にとって“まだ触れたくない音”まで開いてしまうもの。
中途半端なチャクラワークは、それに気づかないまま、未解決の痛みや防衛を増幅してしまう。
魂に沿ったチャクラワークは、“開く”より“思い出す”
魂に沿ったチャクラワークは、“光を入れる”のではなく、“凍った音をほどく”ようなもの。それは、何かを加えるのではなく、「すでにあるものともう一度つながる」こと。ゼロポイントに一致し、魂の音が震えはじめたとき、チャクラは自然に“開く”のではなく、“響き出す”。それは中途半端なチャクラワークでは味わえない、でも確実に地に根ざしながら天とつながるプロセス。
中途半端なチャクラワークが存在するのは、集団的飢えの投影でもある
多くの人が、「自分はここにいていい」「そのままでいい」と感じられずに育ち、“在る”より“変われ”と叱咤され、“魂の音”より“能力”や“成果”を重視されてきた。
その飢えが、そのままチャクラワーク市場に反映されている。チャクラの構造に触れず、「開く」ことだけに憧れる構造は、人類全体の“深い喪失感”の現れでもある。
だから、本当に魂に沿ったチャクラの使い方を思い出すには、「もう変わらなくていい」「今のままの私でここにいていい」というゼロポイントの波動に、まず帰ることが必要なのだ。
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