ある日ふと思ったの
“私はそのままで価値がある”って、
何度も聞いたし、頭ではわかってるのに──
どうして現実はずっと、そうじゃない世界を映してくるんだろう?そんなふうに生きることを選んできたはずなのに、気づくとまた、“信じられない私”が動いていた。スピリチュアルな学びも癒しも、確かに何度も触れてきたし、心が震えるような出会いもあった。
でも、どこかいつも「本当には信じてない自分」が、胸の奥でじっと座って動かずにいた。
そう
それが、“波動の二重構造”だった。
魂は「あなたは完全だよ」と言ってくる。
地上の私は「そう在りたい」と願っている。
けれど、奥のほうでまだ誰かが囁いていた。
「ほんとに?また裏切られるんじゃない?」
「信じたら、あとで痛い目に遭うんじゃないの?」
「期待して、また砕けるのが怖いから、最初から信じないほうが安全だよ」
その声は、一見ネガティブに聞こえるけど、
本当はずっとわたしを守っていた。
その声の主は、わたしの中の“健気な存在”だった。
これ以上傷つかないようにまた裏切られないように
“信じたのにダメだった”を繰り返さないように
そうやって、わたしの“希望”を守っていた。
希望しないという態度で、わたしは、希望そのものを壊さないようにしていた。それは一種の祈りだった。
希望することで失うくらいなら、希望しないことで守る──そんな静かな誓い。
どこまでも慎重で、どこまでも優しかった。このままでは壊れてしまうほど繊細だった心を、必死に包んでくれていた。
そんな内なる存在が、わたしの奥で、誰にも気づかれずにずっとがんばってくれていた。
そして今日、やっと気づけた。わたしが、わたしのその存在に気づいてあげられた。それは涙が出るような出会いだった。
「あなたがそうしてくれていたこと、
ちゃんとわかってるよ」
「何も言わずに守ってくれてたんだね」
「もうそんなに頑張らなくて大丈夫だよ」
「そうしていてくれて、ほんとうにありがとう」
この言葉を、誰かからじゃなく、自分から自分に向けて言えたとき、はじめて「癒し」は起こるんだと思った。
直そうとしない。変えようともしない。ただ、“わたしがそうしてきた理由”に、共鳴するだけでよかった。
すると不思議なことに、「もう、そうしていなくても大丈夫かもしれない」という感覚が、静かに、自然に、内側からやってきた。
そうしていなきゃいけなかった“理由”が
すーっと、やさしく、力まずにほどけていった
そして気づいたの。なんで「何もしない」ことのほうが、うまくいくのか。
わたしはこれまで、必死で癒そうとしてた。
修正しようとしてた。なんとか変えなきゃって、がんばってきた。でもその“がんばり”が、
「今の私はダメだ」という前提
から出ていた。
つまり、「治そうとすること」そのものが、“まだ私は愛されない存在”という波動を強化してしまっていた。
一方で、「何もしない」って──本当は、「今のままの私でいていい」「わたしは、すでにここに在っていい」という、
最も深い信頼の形だったんだ。
何もしないことで、わたしは魂に主導権を返した。
無理に変えようとしなかったことで、
わたしの本当のリズムと自然界のリズムが、静かに重なり始めた。
何も足さない。何も引かない。私は、ただ在る。
それが、こんなにも豊かで、こんなにもあたたかくて、こんなにも力が抜ける感じだったなんて。
「私は価値がある」なんて、もう唱えなくていい。
「価値を持たなきゃ」なんて、もう焦らなくていい。
なにかになろうとしなくていい。
もうすでに、わたしはここにいた。
ずっと最初から、在ったんだ。
わたしは、「在る」という事実だけで、満ちていた。
波動の二重構造。
今日、わたしはスピりっちゃる探訪して、そして静かに、やさしくほどけた。明日もまた、同じように波が来るかもしれない。
でももう、わたしは知ってる。
信じられなかったのは、
わたしが弱かったからじゃない。
希望を大切にしたかったからだった。
そして、今日やっと──
健気に守ってきたわたしの希望に、
わたしが愛を返せたことを、
心から誇りに思ってる。
私たちの感情や日々の現実は、まるで波のようです。
高く立ち上がったり、低く引いたり、
時に砕けて、消えていく。
ふだん私たちは、この“波”に共鳴しています。
「嬉しい」「悲しい」「不安」「達成感」
──そのすべてが波。
その高さや形に反応し、「良い」「悪い」「意味がある」「意味がない」と評価して揺れ動いてしまう。
けれど、ふと視点を変えると気づくことがあります。
波は、海の一部だったのだ
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