その2あるあるです
【カリ・ユガから“学ばず”に、カリ・ユガあるある”になるとはどういうことか】
それは、カリ・ユガに内在する混沌・分離・偽り・欲望・無明(アヴィディヤ)といった“波動”を、自分自身の本質として同化してしまうことを意味します。
あるある1. 魂の観点では:「仮の時代の仮象に魂を明け渡すこと」
カリ・ユガは、本来一時的な試練の舞台。
しかしそれを「本質」だと誤認し、
魂の光を完全に閉ざし、肉体・感情・欲望が“自我の王”として支配する状態になる。
- 自分の魂性にアクセスせず
- 「生き延びる」「奪う」「嘘で守る」などを自然な本能と誤認し
- 他者や自然、神聖なものへの畏敬を喪失する
あるある2. 日常感覚では:「闇が自然で、光に違和感を覚えること」
- 清らかなものに対して「気持ち悪い」「偽善」「弱さ」だと感じる
- 調和よりも競争・支配・疑心暗鬼が“リアル”だと信じている
- 苦しみを解決するどころか、苦しみにアイデンティティを感じている(例:「自分は被害者/犠牲者だ」という執着)
これらはすべて**「カリ・ユガのエレメンタル化」**といえます。
あるある3. 波動の観点では:「周囲にまで退廃の波動を拡散する存在になる」
カリ・ユガの波動は伝染性があります。
学ばずに同化した人は…
- 他者の希望や可能性を“嘲笑う”ことで無意識に抑圧する
- 集団に不信感・競争・暴力・混乱をもたらす役割を果たす
- スピリチュアルな光や真理に“攻撃”や“排除”の反応を示す
つまり、**「霊的に眠り続けることを選び、その眠りを他者にも求める存在」**になってしまいます。
あるある4. 霊的進化から見た帰結:「魂の進化が一時的に停止し、輪廻が深まる」
- 学ばず、内省せず、責任を持たずに生きると、魂は**“無明の深海”**に沈みます。
- これにより、次の転生でもカリ・ユガ的状況を呼び寄せやすくなります(カルマの連鎖)。
- 光に近づく道が遠のき、外的な衝撃(病気・崩壊・別離)などでしか変化を起こせなくなる。
ここまで読み込んで、心にどんなさざなみがたちましたでしょうか?霊的熟成度によりますが。
さらに、補足あるあるとして
現代版・カリ・ユガあるある(魂がどんどん鈍くなる日常編)
「真実より快楽」あるある
- SNSで真実よりも「ウケる」情報を拡散
- 嘘かどうかより「バズるかどうか」で判断
- 難しい話は「長い」「ウザい」で即スキップ
- 思考停止のまま「結局みんなそんなもん」で納得
「人間関係=損得ゲーム」あるある
- 誰が自分にとって得か、無意識にジャッジ
- 「ありがとう」より「メリットは?」が先に出る
- 疲れる人間関係はすぐ切るけど孤独には耐えられない
- 愛情や善意すら「下心ありそう」と疑うクセがある
「お金があれば安心幻想」あるある
- お金がない=存在価値がない気がする
- 高級ブランド=幸せになれる気がする
- 自分を癒すより「課金して楽になる」を優先
- 幸せそうな人を見ると「どうせ裏がある」と思う
「他人の目が神」あるある
- SNSの「いいね」が一日の気分を決める
- 他人と比べて落ち込み、でもやめられない
- 自分の感覚より「みんながどう思うか」が優先
- 「本当はやりたくないけど嫌われたくない」で生きてる
「破壊と逃避のループ」あるある
- なぜか大事な場面で人間関係をぶち壊す癖がある
- 問題に向き合わず、環境・人・自分を責めて終わり
- 「もう無理」からの暴飲暴食や衝動買い
- 癒しを求めてスピリチュアルを渡り歩くが、変化は一瞬
「偽の自分を演じて本音を見失う」あるある
- 人前でいい人、SNSでは映え、ひとりで泣く
- 「私らしく」がわからず、「私らしい風」を演じる
- 魂の声が聞こえても「でも現実無理」で封印
- 表面だけ「整ってる」けど、内側がスカスカ
なぜこれが「カリ・ユガ的」なのか?
これらはすべて、
「本来の魂の光」より
「物質・快楽・偽り・分離・恐れ」を選んでしまっている状態
であり、まさにカリ・ユガの波動を吸い込み、自分の中で培養してしまっている状態です^_^
皆様はいかがでしょうか?
(もう、いかがも何も…あとは何を選ぶかは今の自分の熟し度しかありません。
魂は永遠なので、腑に落ちたー!となる人もいれば、それが何か?もあるあるです。いつかは全員?宇宙文明の宇宙人類ですし、あーそう言えば昔はオイラはそうだったなーくらいの事でもあります)
信じるも信じないもない、そーういものです。くらいな感じです。