午前中は、執筆のために自宅以外の場所で構想を練ったりします。
そのカフェ的な場所に一緒にいた、見知らぬ方々も私と一緒に創造の光としてインスピレーションを与え合っています。
いつも、その時その時間にいた人達とも大切なご縁として一緒に学び創造します。
今日は、息子や娘さんから贈り物を貰っても
いつもありがた迷惑なのよー…という方の
話しが耳に入ってきました。
あー、これは私にも経験があるので、
今日はこれに関して見てみようと思いました。
いつも、贈り物を貰っても自分の趣味と
合わなくてモヤモヤして困る。という
パターンを繰り返す時に
私達が何を学んでいるかというと
受け取る事と与える事という自然の摂理の
大前提を自分の中に歪みなく循環させられるか?
という学びへのチャレンジです。
では、何が歪みを起こし
受け取る事と与える事の循環に詰まりを
起こしているかというと、
いくつかの霊的な経験の詰まりがあります。
ひとつづアルアルを見ていくと
「自己にふさわしいと思える価値の一致=愛の証」と思い込んでいる
自分が望んだ通り・期待した通りでないものを「自分を大切にしていない」と受け取ってしまうのは、
「相手の行為の内容」=「自分の価値」
だと無意識に信じているためです。
→ これは愛の条件化であり、受け取る力が未熟な状態です。
本当の受け取りは、「行為の意図」や「その人なりの誠実さ」も含めて受け入れることから始まります。
「受け取ること=借りを作ること」と捉えている
無意識に「受け取ったら返さなきゃ」「そのうち見返りを要求される」と思っていると、受け取ることが苦痛になります。
→ これは信頼の欠如とコントロール欲求に由来します。
「貸し借りでしか人とつながれない」「無償の愛はない」といった信念が根底にあると、真に受け取ることも、純粋に与えることも難しくなります。
自分の価値や欲求を正しく認識できていない
「自分に合っていないもの」に対して怒りや拒否反応を示すのは、本当は「自分が何を必要としているか」「何を望んでいるか」が曖昧な状態だからです。
→ 自己認識が曖昧なとき、人は自分にとっての“適切なもの”が他人からも提供されるはずだと無意識に期待します。
しかし、それがずれた時に失望し、反応してしまうのです。
エネルギーの循環の詰まり
与える=上から下へ
受け取る=下から上へ
という循環は、物質的にもエネルギー的にも必要です。
→ どちらか一方しかできない(与えるだけ、受け取るだけ)は、ハートチャクラの閉塞や歪みを意味します。
特に、「見返りを求めず与えることに美徳を感じる」タイプは、実は受け取る力が弱く、結果的に循環が止まります。
過去の傷つきによる防衛反応
過去に「ありがた迷惑」と感じた経験、押しつけられた経験、期待を裏切られた経験などが、受け取りに対する不信感となって残っている場合があります。
→ これは「善意の受け取り=不快・不安」という条件付けを起こし、潜在的な拒絶反応につながります。
- 私は、なぜ「ありがとう」と言うのが怖いのか?
- 相手の行為を評価することで、何から自分を守ろうとしているのか?
- 与えることや受け取ることに対して、私の中にどんな痛みや誤解があるか?
「ありがた迷惑」と感じる心には、
- 条件付きの愛の理解
- 信頼の欠如
- 自己価値の不安定さ
- ハートチャクラのエネルギーの詰まり
- 過去のトラウマ
が影響しています。
受け取ることは、
霊的な成熟の第一歩です。
「自分にはふさわしくない」と判断する前に、「この人は私に何を伝えたかったのか?」と、意図への共感から霊的な受け取りが始まります。
皆様はいかがでしょうか?
私は受け取ることと、与えることという
神聖な行為をこの地球でしっかりと
学び、喜んでそれができるように
なりたいです^_^