と。いう感じで、命からの人間宣言を朝っぱらから打ち立てた私ですが…
何かを宣言したり決意をすると、必ず、直ぐに
その決意の意識に対して、反射が起こります。
反応です。
私のこの私的な思想宣言に対して、反応が来ます。
わかりやすい反応をわかりやすく言えば
反対の意識です。
人間を命です。と宣言しない意識らの反応です。
これは、今となっては悪魔でもなく悪でも悪意でもなく、バランスとして自分が感じる自己応答です。
宣言はまだ宣言のままでその宣言は、そう宣言した瞬間から自意識を持って実践する事で道になります。
この道は私が初めて歩く道では無いのは確かなのですが、私が道を険しく難しく感じたら、開かれ最初からある道が自分の揺らぎというブレた感覚により、見えなくなり、見えないとし、無いとしたら、あっけなく無いものになります。
反対の反応として放ったものを感じてしまうのは、
自分の意識の揺らぎによる感覚です。
意識体というものは、誰が放ったどんなものでも、その意識という電気を帯びて、似た様な意識に共鳴します。共鳴は単なるエネルギー的反応です。
自分が宣言した内容の意識レベルを保つ事でしか、その宣言した意識を実現する事はできません。
これは、願望実現と同じです。願望が叶わないのは、願った時のポテンシャルをすぐに(なんらかの理由で)下回った意識状態になり放ってしまうから、結実しません。
願望の内容によって叶うか?叶わないか?は関係ありません。叶いやすいか?叶いにくいか?はもしかしたらあるかもですが…
だから、小さな願望や大きな理想の大小に関わらず、いつか放った意識は形になって帰ってはきます。
あなたの放った願望は他の似た様な意識と合体して意識体となり電気を強めて戻ってきます。
意識体が願望を物質化できるほどに
大きくなって戻ってきたときに、放った側が戻ってきた意識体らを自分でコントロールできるくらいに、意識を保って自覚していたなら、その意識体らと一緒に理想や願望を実現するでしょう。
しかし、願望理想を放った当時のポテンシャルより、自己意識が下がっている、もしくはすっかり忘れてしまっている…もしくは別の願望を放っていたら、あなたにはコントロール不能の反射神経のように、戻ってきた意識体に支配され、戦うか負けるか悩むかという緊張状態で体、精神、思考がバラバラのまま過ごす事になります。
どんな願望も戻って来ます。そして、今の自分の意識状態に沿うように作用します。
神のような完全性への理想を放ったら、
その意識が意識体として戻ってきた時に、
自分がすっかり忘れていたとしても、その理想を実現するように作用し、その時の自分の精神状態や意識状態によっては、苦しみや訳の分からない努力や
苦痛を体験するかもしれません。自己が放った思念は全て命を授かりながら体験します。
いつ何を意識して放ったとわかるのでしょうか?
紙に書いたり印た宣言のようにまだ多少わかりやすいものから、
なんとなくフッと思いついた物まで、
多岐に渡るでしょう。
その全てが毎瞬毎瞬戻ってきて現実の像を
今の自分との差分を埋めないまま体験するしかなかったら、どのような現実を生きるのでしょうか?
この意識を放つこと、思念を放つ事を、いつからの自分を今の自己と同一視するのでしょうか?
その分量は自分で決める事ができます。
この意識はエレメンタルになり必ず戻ってくるという仕組みを理解し、いつからの自己を今の自己と同一視するかで今作用する分量を決めることはできます。
ただ、今、分量と反応を調節できても、
必ず、いつか放った分の、帰ってきた意識体の総量を生きて体験することになります。死んでまた生まれる。という事を繰り返す。とは宗教上の思想なのでしょうか?
もし人ひとりが放つ意識の総量が何度生まれ変わっても、身に余るほどのものだとしたら、どうやってそれを解消するのでしょうか?
私が命そのものだと気がついた時に、私を含め全てが命そのものを輝かすための存在と気がついた時に、戻ってきた意識体らが命の物差しで自分自ら秤、命あるものは自己の中に反応として残して行く事になります。
という、宣言に関する補足を書いたら、激しく眠くなったので、またAI様にまとめてもらいました^_^
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