願望。願望はありますか?
私は社会的な、または個人的な、他者に言えるような願望や夢や理想はありませんでした。
将来何になりたいの?
将来の夢は?
などは聞かれると大変困ってしまうタイプでした。
学校を卒業したあと社会人になるのですが、
消去法的に残った職業に就きました。
美術の成績が少し良かったり、コラージュなどが好きだったので
雑誌のレイアウトや広告などをデザインする事務所に就職しました。
まだほぼアナログ作業。
指定紙というものに手書きで指定を入れ
写植屋さんに版下を作ってもらい、それを
印刷所が印刷するというような流れでした。
消去法的に選ぶ。というのは、今考えると
雇ってくださる方になんと不遜な状態なんだと
自分の稚拙さに頭が痛くなってしまうのですが、
そのような状態でした。
入ったデザイン事務所は猫の手も借りたいところだったので、居させてもらえたのだと思います。
1番最初の仕事はアニメ雑誌のお便りコーナーと
付録のデザインでした。
お便りコーナーは一色なので指定はそんなに難しくないのですが、付録などのカラー指定が本当に難しく感じました。アニメのセル画は色だらけなので、その世界感を壊さず、それでも見えるように認識されるようにデザインはしなければなりません。色だらけの中で目立たせず、だけどハッキリ認識させるように。という感じでした。
後にアニメ的な素材の少ないデザインをするようになるのですが、ある程度、色の方向性がわかりやすいので色で悩む事はあまりなくなったような気がします。それと、アニメに全く興味がなかったので、
困ったなぁと言う感じも薄れて、少し居心地の悪さも無くなったような感じはしていました。
しかし、流通上のデザインという仕事は答えがないようで、必ずその時の良い塩梅というのが存在するし、その存在が選ばれるように作り見せたり、その他、制作費などの面も大変重要になるので、色だらけのアニメ雑誌職人になる方が今となってはわかりやすかったのでは?と思ったりもします。
知り合いにどんな仕事をしてるの?聞かれた時に
デザインを…などと答えると大層やりたい事で
夢を叶えた人のように見られる事もあったのですが、こちらは消去法で選んでいたので自慢できるような状態でもなく、、キャリアをどう積むか?など
全く考えられないので、また非常に悶々とした、
私は何をしたいのか?が凝縮したような状態に
落ち込んで行くのもすぐでした。
バリバリ仕事をしたい意欲もない。
お金を稼ぐ意欲もない。
そもそも仕事が好きじゃない。
みたいな、本当に酷いものだったので。。
そのようなイヤイヤな状態で続けると後に
座っていられないほどの腰痛持ちになったりで
10年程でデザインの仕事は辞めていました。
その後は企業で営業事務や総務事務などをして
デザインができたので他にもいろいろ視覚的な
書類が必要な時は任せてもらえました。なのでなんとなく居心地は良かったような思い出はあります。
しかし、30歳あたりで、相変わらず何で人は生きているの?何で人間は生まれきたの?
という疑問の落ちつきの無さに沈んで行く日々でした。
特に実母に対する嫌悪が強く、非常に捻くれた情緒を保っていたので、自分が自然に安らぐ状態もわからず、日々何に追われる事もないのにひたすら焦っているという自分で作った地獄でもがくというような不健康な時だったような気がします。
そんなどのように自分は生きたいか?という
答えも責任ももたない私は、本当に困り果てて、
でも、病気というには働けるし、この答えの無い困り感の解消をヒーラー、ヒーリングができる人に見てもらうという方向に進んで行くのでした。
最初はオーラソーマというカラーセラピーの手法で
読み解いてもらうというものからだったと思います。それで何か解消したかというと何もないのですが、ボトルを実際に使う事で、波動が少し変わるので自分が悩みを作る頑固な面から少し俯瞰で物事を見る事ができるようになるという実感は掴みました。そこからエッセンス療法や石を使ったセラピーなど、いろいろ受けて見て、その時はそのエネルギーを帯びるので少しだけ気が楽になるを体験していました。お酒などは余り飲めないのでこのようなエッセンス療法はリラクゼーション的な役割を果たしてくれていたのだと思います。
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