映画『みんなの学校』のキャッチコピーに思うこと | 不登校の子ども、障がいのある子どもの学びの場☆スペース海

映画『みんなの学校』のキャッチコピーに思うこと

大阪市立大空小学校の取り組みを追った

ドキュメンタリー映画『みんなの学校』が話題になっている。

近くで公開されたら、見に行くつもり。



障がいのある子もない子も共に学ぶことができる場づくりの

実践としてとても興味がある。



でも、YouTubeに上がっている予告編の解説の文言が

妙にひっかかる。


「不登校ゼロを目標とした学校作りを目指す」


映画の内容を云々している訳ではない。

だって、まだ、見ていないのだから。


でも、学校として

「不登校ゼロを目標とした学校作り」を

表明しているのだとしたら、違和感があるなあ。


不登校はゼロにしなかったらいけないのだろうか。



不登校ゼロを目標にするという意識の中に、

不登校は悪いこと、学校に来ていることがいいこと

という思いを私は感じてしまうのだけれども・・。



20数年前、

まだ、不登校という言葉ではなく、

登校拒否という言葉が使われていたころ、

教育行政は

登校拒否は悪いことで、

学校に来られるようにすることが大切である

という方針だった。



そして、社会の中にも、

登校拒否の子どもたちは直さなければならない対象、

治療の必要な対象という考えがあった。



その結果として、

戸塚ヨットスクールの事件は起こり、

広島県で風の子学園の事件が起こった。



なん人もの登校拒否の子どもたちが、

スパルタ教育という体罰により、

いのちを奪われることになってしまった。



「不登校ゼロ」、耳触りのよいフレーズかもしれない。

でも、それはあくまで学校という組織にフォーカスした表現であり、

その表現が独り歩きすることは非常に危険なことだと思う。



この映画が評価され、

あちこちで「不登校ゼロを目標とした学校作り」が

実践されるようになったら、

それは20数年の時間を逆行することにならないだろうか。



これからの時代に必要なのは

つまずかないための教育ではなく、

つまずいても、その子どもの可能性を広げられるような教育である。


学校という組織ではなく、

子どもひとりひとりにフォーカスして、

つまずきを受け止め、

発達の遅れや発達の凹凸を受け止め、寄り添うこと。

それこそが子どもたちの未来を拓くのだと思うんだけど。



私は大空小学校の試みを否定する訳ではない。

予告編だけ見ても、

丁寧に子どもたちと関わっている姿が映し出されていた。

素敵な先生たちだと感じた。



でも、やっぱり

「不登校ゼロを目標とした学校作り」なんて息苦しい。



つまずいたっていいじゃないか、

不登校になってもいいじゃないか、

苦手なことがあってもいいじゃないか、

そんなお互いがお互いを認めあい、支え合い、

慈しみあえる社会を目指したい。


スペース海として、そんな活動を心がけたい。