ひとりひとり違うけど、同じでもある
スペース海の活動がはじまったころ、
不登校についての活動をしている団体と
障がいについての活動をしている団体とはある程度距離があった。
スペース海は不登校の子どもの居場所としてスタートして、
しばらくしてから、障がいのある子どもとの関わりが始まった。
その頃はよく、こんなことを聞かれた。
「新田さんは不登校と障がいを同列に考えているの?」
「新田さんは不登校の子どもには障がいがあると思っているの?」
私には訳がわからないことを問いかけられた。
子どもはひとりひとり違う。
だから、ひとりひとりと丁寧な関わりをしたい。
ただ、それだけだったんだけど。
活動をスタートさせた当初は
私自身、不登校の子どもとの関わりは
障がいのある子どもとの関わりとは「まったく」違うと思っていた。
でも、いままでの子どもたちとの出会いを振り返ってみると、
けっして「まったく」違う世界ではなかったことに気づく。
不登校で関わった子どもに発達障がいがあったり、
発達障がいのある子どもが不登校になったり・・。
人はみんなひとりひとりちがう。
でも、つらさに耐えていたり、躓いて立ち止まって苦しくなったり、
なにげない言葉に心が軽くなったり、
人はみんなおんなじでもある。
おんなじところを意識しながら、お互いにそのちがいをみとめあえるといいな。
不登校についての活動をしている団体と
障がいについての活動をしている団体とはある程度距離があった。
スペース海は不登校の子どもの居場所としてスタートして、
しばらくしてから、障がいのある子どもとの関わりが始まった。
その頃はよく、こんなことを聞かれた。
「新田さんは不登校と障がいを同列に考えているの?」
「新田さんは不登校の子どもには障がいがあると思っているの?」
私には訳がわからないことを問いかけられた。
子どもはひとりひとり違う。
だから、ひとりひとりと丁寧な関わりをしたい。
ただ、それだけだったんだけど。
活動をスタートさせた当初は
私自身、不登校の子どもとの関わりは
障がいのある子どもとの関わりとは「まったく」違うと思っていた。
でも、いままでの子どもたちとの出会いを振り返ってみると、
けっして「まったく」違う世界ではなかったことに気づく。
不登校で関わった子どもに発達障がいがあったり、
発達障がいのある子どもが不登校になったり・・。
人はみんなひとりひとりちがう。
でも、つらさに耐えていたり、躓いて立ち止まって苦しくなったり、
なにげない言葉に心が軽くなったり、
人はみんなおんなじでもある。
おんなじところを意識しながら、お互いにそのちがいをみとめあえるといいな。