親として、障がいのある子どもへの思いを離すこと
障がいのある子どもをもつ親はだれでも、
自分たちの死後、つまり親が亡くなった後の子どもの生活を憂う。
「できるなら、子どもより、1分でも1秒でも長生きしたい」
そんな気持ちが親のこころにはある。
「できるなら、自分で我が子を看取りたい」
でも、現実には親も高齢化する。
親にも介護の必要な時が来る。
親でも子どもの生活は守れない。
だったら、親としてなにができるのだろうか?
「親だからこそ、抱え込みすぎない」
「親だからこそ、子どもへの思いを離す」
そんな見識も必要だ。
人に委ねる勇気も求められる。
まだ、私は自分でなんとかしようと思っている。
どのように「自分でなんとかしようと思うこころ」を離していくのか、
きっと、それが最大の私の課題なんだろうと思う。
人に委ねる・・
そのためには人への信頼、人への希望、人への愛、
人間としての存在の根幹への祈りが必要なのではないだろうか。
書き始めたら、底なし沼にはまってしまった感じ・・。
自分たちの死後、つまり親が亡くなった後の子どもの生活を憂う。
「できるなら、子どもより、1分でも1秒でも長生きしたい」
そんな気持ちが親のこころにはある。
「できるなら、自分で我が子を看取りたい」
でも、現実には親も高齢化する。
親にも介護の必要な時が来る。
親でも子どもの生活は守れない。
だったら、親としてなにができるのだろうか?
「親だからこそ、抱え込みすぎない」
「親だからこそ、子どもへの思いを離す」
そんな見識も必要だ。
人に委ねる勇気も求められる。
まだ、私は自分でなんとかしようと思っている。
どのように「自分でなんとかしようと思うこころ」を離していくのか、
きっと、それが最大の私の課題なんだろうと思う。
人に委ねる・・
そのためには人への信頼、人への希望、人への愛、
人間としての存在の根幹への祈りが必要なのではないだろうか。
書き始めたら、底なし沼にはまってしまった感じ・・。