してくれるのがあたりまえ !
人は自分のイメージ通りの自分になっていく。
それは障がいのある子どもも例外ではない。
もちろん、子どもたち自身の中に自己イメージが育っていくかどうかは
ひとりひとり違うと思うけど。
ずっと、以前にこんな女の子がいた。
とっても可愛い女の子、聴覚に障がいがあって、知的にも遅れがあった。
普通級にいた彼女には、自然にまわりにサポーターができていた。
サポーターにはそれぞれに役割も決まっていた。
担任の先生にとっても、そのサポーターは便利で役に立った。
でも、そのころの彼女を見ていて、なんだかお人形みたいと感じた。
自分からアクションを起こすのではなく、まわりの人がなにかをしてくれる
のを待つようになっていた。
してくれるのがあたりまえ !
「待っていれば、だれかがなにかをしてくれる」
そんな自分に対するイメージが出来始めていたように思う。
学力の差も広がってしまったので、小学校の途中で支援級に移ることになった。
いま、高校生。
ずいぶん、たくましくなった。
みんなにかわいがられる障がい児であってほしいとは思う。
でも、子ども時代にあまりにサポートが強力だと
本人の自発的な行動の芽をつんでしまうような気がしてならない。
ちょっと、キケンではないだろうか。
それは障がいのある子どもも例外ではない。
もちろん、子どもたち自身の中に自己イメージが育っていくかどうかは
ひとりひとり違うと思うけど。
ずっと、以前にこんな女の子がいた。
とっても可愛い女の子、聴覚に障がいがあって、知的にも遅れがあった。
普通級にいた彼女には、自然にまわりにサポーターができていた。
サポーターにはそれぞれに役割も決まっていた。
担任の先生にとっても、そのサポーターは便利で役に立った。
でも、そのころの彼女を見ていて、なんだかお人形みたいと感じた。
自分からアクションを起こすのではなく、まわりの人がなにかをしてくれる
のを待つようになっていた。
してくれるのがあたりまえ !
「待っていれば、だれかがなにかをしてくれる」
そんな自分に対するイメージが出来始めていたように思う。
学力の差も広がってしまったので、小学校の途中で支援級に移ることになった。
いま、高校生。
ずいぶん、たくましくなった。
みんなにかわいがられる障がい児であってほしいとは思う。
でも、子ども時代にあまりにサポートが強力だと
本人の自発的な行動の芽をつんでしまうような気がしてならない。
ちょっと、キケンではないだろうか。