あなたの寂しさを

埋めてくれる人を

いつまでも求めたところで

永久に満たされるものではありません



あなたが生まれてきたときから

共にいるのは あなた自身

その存在を忘れて

外に求めても  一時的な満足にすぎません

またあなたは 乾き

次を求めていく



この世でそのように生きていたなら

あの世に還っても

同じようなことを繰りかえし

またこの人生で やり直しをするのです


いつまで繰り返そうとも

神はじっと見ているだけです

あらゆる体験を通して

または、誰かの口を通して

あなたへメッセージを届けていますが

受け取るも、気づかないも自由なのです



あなたに天罰など与えません

ただ、遣り残したことが

どんどん膨らんでいくだけです

いつかは目を向けるときがくるでしょう

神は慈悲の心でただ待っています




それでもあなたを守る存在たちが

早く魂に目覚めて欲しくて

時には 厳しい体験を引き寄せるでしょう

それを、自分はよほど業が深いのだと

また自分を落としてしまう



あなたが出会う 一人ひとりが

あなたが何であるかを教えてくれます

あなたは微笑めば 微笑が還って来るでしょう

其の瞬間 あなたは幸せを分かち合っている



そんなささやかなことを

とてもとても大切なものとして感じていくなら

あなたの人生の 振り返ったところに

たくさんの花が咲いているはず


花は、みんな違っている

そして花たちは、比べあったりしない

無心に咲いているから美しい

日々をそんな風に生きていくこと

そして振り向いたら たくさんの花が輝いていた

それが人生です



何をしてきたかではない

どのように生き

どう感じ 

精一杯 生きてきたか

それが結果として  美しい花となるのです



どんな花を咲かせばいいのか

それは大いなる力に委ねきって

今この瞬間に集中しましょう

結果は神に任せて

このプロセスを味わい 楽しんでください




あなた自身を味わいきるために

あなたの人生があるのだから

あなたがやりたいこと

心地のよいことに向かってください

そうしてあなた自身が満ちてきたなら

寂しさや虚しさなど

感じる隙間がなくなるのです



ただ

魂の平安に包まれているのを感じるでしょう

欲を捨てなければなどと 気負わなくても

無欲で自然な自分に出会う

あるがままの

あなた自身に出会うでしょう




菩薩や天女を描き始めてから

もう20年を過ぎました。

 

描き始めたときは、

優しすぎるくらい優しい菩薩さまが出てきて

癒しの絵もここまで~~?

というくらいだったので、

絵も変わり目なのかしら・・・?

と、まだ未完成でしたが、

セアロにお見せしたとき



「強さも必要だ。

癒されたいものに、優しすぎては、

相手を甘やかす絵になる」

「優しさも厳しさも必要だ」




そうでした、

愛とは  優しさと厳しさの調和です。





目から鱗でした。

癒しというものにフォーカスしすぎていました。

ですが、強さを意識して描くと

上から目線の表情になりやすくて難しいんです。


自然に溢れてくるものでなければいけませんから

やはり、普段の自分が肝心です。

強くなければ、大事な人を守ることだってできません・・・。

ときに、相手に厳しいことをお伝えするのも

すっごいエネルギー使いますよね。。

 



以上、2010年の記事より抜粋しました。

なにかお役に立てれば幸いです。