セアロのメッセージがとても好評でした。

 

 

セアロの深みと重みのある言葉がとても好きで

いつも読んでいました。

 

そのうちに、描いた絵を見ていると

自分の中からも言葉が沸き上がってきて

 

書き留めるようになりました。

 

絵の神様からのメッセージ、

てな表現にしていますが

 

きっと、真我からの閃きだと思います。

 

 

 

一時は、ご依頼の絵にメッセージを添えて

送っていたのですが

だんだんと

自分の言葉で伝えるようになりました。

 

 

真我と自我が少しづつ同調するようになれば

 

自分の言葉になっていくのだと思います。

 

 

今日は過去記事から、

私が受け取った、メッセージをお届けします。

 



無条件にただ愛する

降り注ぐ太陽のように そうありたいと思うか

それでいても、この肉を持つ次元では 

 

エネルギーは使えば消耗する



限界を感じたら 

逃げるか

器を大きくするか

究極の選択だ


だから 壁に突き当たったら チャンスなのだよ

私たちは喜んでサポートしよう

よくここまできたねと 

あなたの勇気をたたえよう

 


愛は惜しみなく ただ与えなさい

やり続けなさい

その行為はめぐりめぐって

 

ギフトを抱えてあなたのもとに還って来る

 


そして 気がつけば

限りなく宇宙の愛と繋がる次元にいるだろう




頑張りすぎな人への追記♡


真の奉仕とは行為そのものを楽しむことであり

見返りを期待したり、

 

相手の反応をジャッジしてはならない

結果は天に任せなさい


というのがセアロから学んだ最大のことでした


ところが 人間というのはやっかいな生き物で

時間の経過とともに 

 

はじめは愛と感謝の関係であっても

いつしか、受ける側は

 

やってもらうことにあたりまえになっていき

与える側は、だんだんに疲れがでてきて無理が生じ

せめてねぎらいのことばくらい・・・

 

となってしまうのですね



与える側が 満ち足りていなければ 

 

枯渇してしまい

肉体か精神のどちらかが悲鳴をあげだすのです

これは私にとって とてもせつない体験でした

自分ひとりでかかえていた荷物を少しずつ横に置き

自分にエネルギーを注ぐことにしました


そして復活したときには 

 

こうあってほしいという執着も消え

たんたんと 自分にできることをさせていただく

というスタンスになりました


人間の成長とはは やりたいことをやるのではなく

やるべきことを好きになること

そのためには いかに楽しく取り組むか 

 

工夫も必要だということも気づきでした

たまには弱音吐いて 

 

ヘルプしてもらうことも大事だということも・・・

頭ではわかっていても、

 

余裕がなくなれば自分が置き去りになるんですよね