
パワフルなエナジー・アートが続いているので、ちょっと閑話休題。
といいますか
時系列で新作アップをしていくと、なかなか新作NOWに追いつきません^^;
観音シリーズがとんと置き去りになってしまってるので
めっずらしく本日二度目の更新を。
この観音様も去年の秋の作品でしょうか・・・
東京WSでお会いした、埼玉のトマトさんのオンリーワン☆アートです。
この絵をみていたら、セアロの「煩悩を描け」という言葉を思い出しました。
その時の記事を貼ってみます。
わあ、私にもこんな未熟な時期があったんだわ・・・と懐かしくなりました。
ポジティブ志向の落とし穴です。
まだそこに引っかかっている方がいましたら、ご参考に♬
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・・・個展にむけて たくさんの菩薩を描かせていただいておりましたが
どれも満足いくものができず
心静かで、慈愛あふれた 優雅なお姿を
どこまで求めても 表現できず
しょせん 自分が 迷いのさなかにいるうちは 無理なのだろうか
でも 仏師がみな悟っているわけでもなく
しかし 私の描く世界はしょせん綺麗ごとなのだろうか
と 彷徨っていたときに
おりよくセアロが玉野にくるというので ベストタイミングでした。
最近の作品数枚を絵葉書にして セアロにお見せしました。
すると 開口一番
もっと煩悩を描け・・・・
????!!!!!
またもや 意表を突く言葉でした。
しかし 綺麗ごとか???と迷っていた私の思いを見透かしていました。
煩悩を否定するから
煩悩がいびつなものになる
あってもいいじゃないか
それも自分だ
ただ執着しなければいいんだ
分けてしまおうとするからおかしくなる
そうでした。
ああ、まだこんなことで揺れ動く私がいる
自分のエゴに気づくたびに まだこんなもの持ってた~~!
と、いやがる心がありました。
もっとしずかな 菩薩のような心に憧れ
そうでないものに 無意識に蓋をしたり いらだっていました。
闇をも受け入れる心でいたつもりでしたが
「まだこんなにある~~」と ため息をつき 浄化しようとしていました。
もっと軽くなりたいというのも執着でした。
それを浄化するとか
そんなことを考えるから 複雑になる
ただそこにある それだけだろ
たとえばそれを いやだと思うから
浄化しようと 分けて考えるんだ
内観のしかたを どこかで取り違えていました。
でてきたエゴを まず否定したりジャッジしてしまうから
浄化しよう 払おうという意識になるのでした。
私は しっかりと受け入れていなかったことに気づきました。
菩提心を求めるのも執着、 煩悩を押さえ込むのも煩悩
でも そうやって迷い悩むから 気づいていける
煩悩即菩提・・・・☆すべてありがたし
以前 誰かに 「泣いてる仏陀を描いたっていいんだよ」といわれたことを思い出しました。
男女の和合だって描いたらいいんだ
人が見て なんだこれはと言われたら
それがなにか?・・・・でいいんだ
堂々としていろ
「はあ~~~~。よくわかります。
でも煩悩を描くのって ちょっと恐怖がありますが・・・。
煩悩があることが苦しいから
楽になりたくて 菩薩に憧れ 早くああなりたいと思っていました。
でも、、、菩薩ってなんでしょう。」
煩悩を認めるのは怖い。
もっともっと泣け、
もっともっと悩め
おまえはまだまだ自分のことで涙し 苦しんでいる
菩薩は 自分のことで 涙することはない
自分のことで苦しむことはない
・・・・そうでした。
自分を卒業できてないのに 人を救済することはできません。
1・2をとことんやってはじめて3に行く事ができるのでした。
常に平安な心でいるためには 絵を描いてるときのような心で
常に生活しろと 以前言われたことも まだまだ身についてはいませんでした。
まだまだだな、、、、と、セアロに笑われてしまいましたm--m
内なるメッセージがきました。
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揺れ動く心も 揺れるがまま
揺れたから なんだというのだ
煩悩をよくないものだと思うから
自分も人も ゆがめてしまう
人間の弱さは 神が与えたものだ
補い合い 時に傷つけあい
許しあって 分かち合って
そしてひとつになっていく
肉をもつ限り エゴもついてまわる
エゴを支配するか 支配されるのか
包み込めるか 払いのけるか
すべては自分の器次第だ
今来たものを 味わいきれば 煩悩さえも溶けていく
太く大きくなりなさい
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そうなんです
心の浄化は大事ですが
浄化というのは、結果であって
浄化するぞ~っとなった瞬間に
重たいものを抱えている自分を責めてるんですね
自分を認めていない
理想と現実のギャップを常に計算してしまっています
こんな自分はいやだ、と押しやれば、
倍になって帰ってきます
または、鏡のように、いやな人が現れて
いやな自分をみせつけられるでしょう
傷ついたこころがあるなら
それがありのままの自分なのだと包み込めば
やがて消えていきます
それが統合ということです
そうすれば、人の想いも包み込め
あなたの器が広がっていきます
そうして人は
ニュートラルな次元に立っていくことを覚えていきます
あるがままの境地へと学びを進めていきます
本来の姿に目覚めていきます
浄化とはあくまで結果なのです
結果にこだわれば執着となり
堂々巡りのループから抜け出すことはできません
ほんのちょっとした、ボタンの掛け違いなんですね☆
