たられば。――もしも、あのとき。
ああしていたら、今は幸せだったのかな。
そう思う夜は、誰にでもある。
たとえば、あのとき違う道を選んでいたら。
もっと勇気を出して「行く」と言っていたら。
あの人に心を開いていたら。
あの夢を諦めずに続けていたら…
もしかしたら いまより自由で
いまより豊かで
いまより笑っていたかもしれない。
そんな“もうひとつの未来”を想像すると
胸の奥がズンと重くなる。
まるで…
未来の自分まで裏切ってしまったようで。
でもね。
その
「もしも未来はもっと良かったかも」
と思う気持ちも
ちゃんと“希望”なんです。
もう変えられない過去を見つめながらも
あなたの心はまだ
「良くなりたい」と願ってる。
まだ、自分の未来を諦めていない。
たらればは、絶望ではなく希望の残り香。
心が「私はまだ光を信じてるよ」と
教えてくれている合図。
だって本当に人生を諦めていたら
「もしも」なんて言葉すら出てこない。
思考は止まり、感情も凍る。
でもあなたはまだ
“別の可能性”を想像している。
つまり、まだ
未来を描く力が残っているということ。
たられば。過去を考え出す時は、かなり末期。
たらればを考えるときって
もう、頭の中が「もしも」だらけになってる。
あのとき、ああしていれば。
あの言葉を飲み込まなければ。
あの人に、もう少し優しくしていれば。
それってね、実は
“思考のリプレイ”
という名の自傷行為みたいなもので
現実にはもう存在しない映像を
心が何度も再生して自分を罰してる。
「後悔してる」って言葉の裏には
“やり直せないことへの怒り”と
“まだ諦められない愛情”がある。
だから、苦しい。
そしてね、
過去のたらればを考え出した時って…
実は末期なんです。
悪化の末期じゃなくて、変化の直前の末期。
もう古い自分の中では
生きられない!っていう魂のデトックス。
心が、“過去”を使って
“未来に行くための整理”をしているだけ。
人は、本当に過去を忘れられないとき
それを何度も思い出すことで
ようやく現実として受け入れようとしてるの。
つまり「たられば期」=「浄化期」
ちゃんと心が仕事してる証拠。
もう、あの頃に戻りたいわけじゃない。
あの頃の自分に
「よく頑張ったね」と言いたいだけ。
あの選択をした“未熟な自分”を
やっと許せそうだからこそ
いま、その場面を思い出してるだけなんです。
そして、もし今
「たられば」でいっぱいになってるなら
それは「そろそろ次に行けるよ」のサイン。
だって
過去を見つめる余裕ができたってこと。
嵐の真っ最中には
誰も振り返ることなんてできない。
今あなたは、ようやく息をして
過去を見られる場所に立ってる。
だからこそ、苦しい。
だからこそ、尊い。
そして、未来へ。
過去は変えられないけど
“あの時の自分への意味づけ”は
いつだって変えられる。
あの決断があったからいまの私がここにいる。
あの涙があったから私は「優しさ」を学べた。
あの失敗があったから優しくなれた。
あの別れがあったから本物の愛を知った。
あの挫折があったから、いま誰かを救える。
そして
「たられば」を抜ける日は突然やってくる。
ふとした瞬間に
「もう、いいや」って肩の力が抜ける。
その瞬間、ようやく“いま”が戻ってくる。
もし、あのときああしていたら…
そんな風に考える日があるなら
それは「まだ終わっていない」というサイン。
あなたの魂は
まだ生きる物語の続きを書こうとしている。
未来は、まだ決まっていない。
そして、“いまを愛し始めた瞬間”から
未来は必ず、良くなっていく。
だからどうか、過去の私に言ってあげて。
「ありがとう。
あなたのおかげで私はまだ希望を見ている」
って。
その瞬間
たらればの痛みは、希望の祈りに変わる。
そして、未来は静かに微笑む。
個人セッション→Unlock Inner Voice
2025年 わたしのゴール
誰にも奪われることのない
真に自分らしい在り方との出会いの追求
お申し込み先
お問い合わせやお申し込みはこちら
LINE公式で簡単にやりとり可能です
青い部分をポチッと押してみてくださいね
ご登録の方に無料診断配布中!
もしくは下記のInstagramより
DMにてメッセージお待ちしています

