内観が大好きで

問いかけがあるとすぐに

ノートにペンを走らせます



今日はLilyさんの問いかけから





成功ってなんだろう?お金と見栄の奥にあるもの



「わたしにとっての成功とは?」

この問いを自分に投げかけられたとき

まず浮かんできたのは—

まだお金、評価…




誰にも文句を言わせないくらい稼いで

自由に使っても、まだお金が残っている。




人から

「うらやましい」「かっこいい」

と思われる生き方を

さまざまな媒体で見せられる。




そう書き出した自分を見て

正直

「なんなん、わたし?お金と見栄ばかりやん」

と思いました。笑




けれど、これを

正直に書き出せたこと自体が

すごいことなんだと今は思うのです。




「お金と見栄ばかり」と思う必要はない



私たちはつい

「人間らしい欲」を恥じてしまいます。

でも「お金」や「評価」を求める気持ちは

とても自然で健全な欲求。

それを否定する必要はまったくないんです。




なぜなら—

その奥には、もっと深い願いがあるから。




どうして「お金と見栄」が出てくるのか?



・安心を得たい欲求

誰にも文句を言わせない

批判されずに生きたいという安心。


・承認を得たい欲求

うらやましい、かっこいいと思われることで

「存在を認められたい」という願い。


・自由を得たい欲求

好きに使っても余裕がある状態

=未来を怖れずに選択できる自由。




つまり「お金と見栄」の奥に眠っているのは

安心・承認・自由。

これは人として自然で

誰にでも共通する深い欲求なんです。




本当の成功のかたち



じゃあ、私にとっての

“本当の成功”とは何だろう?

それはきっと、最後にこう言えること。




「わたしの人生、これでよかった」

「なんの後悔もない。やりきった」




その満足感こそが私がずっと欲しかったもの。

お金や評価は、そのための

道具であり証明でしかない。




もし今日が人生最後の日だったら——




私はこう思いたい。


「愛された実感に包まれて

 愛しきった達成感で旅立ちたい」


これが、私が望む最期の姿。




後悔のなさ

「やりきった」

「これがわたしの生き方だった」

と胸を張る


伝えること

愛と想いを言葉にして遺す


印象に残ること

「やっぱりあの人すごかったな」

と記憶に刻まれる


愛の循環

愛された実感と

愛しきった達成感を抱きしめて旅立つ




これは「死にたい」という話ではなく

“どう生きて、どう去りたいか”

という人生のビジョンそのもの。




つまり私の人生の成功とは

「愛を循環させて、悔いなく全うすること」

なんです。




ビデオレターを思い浮かべて…



実際に

「人生最後の日、ビデオレターを撮る自分」

を想像してみました。

受講生や仲間、大切な人の顔を

ひとりひとり思い浮かべながら話していたら—




「よくついてきてくれたね」

「たくさんのページを見せてくれてありがとう」

「わたし、幸せだったよ」




そう語る自分がリアルに見えて

鼻水垂らして号泣。笑




気づけば

「もうすでに伝えたい愛が山ほどある」

「感謝で胸がパンパンに満たされてる」

ってことがわかったんです。





つまり結論。

わたしにとっての成功とは——




「死ぬ前にビデオレター撮ったら

 鼻水ダラダラで

 カメラに映らんくらい泣けること」笑。




それくらい

“愛して、愛されて、感謝でいっぱい”

の人生を生ききること。




お金も評価も自由も

その涙の後押しになるなら

やっぱり全力で欲しい。




だから今日もわたしは

稼ぐし、見せるし、泣く。

愛で満たされて死にきるために。