愛犬ハイネ
ミニチュアシュナウザー 16歳
4月9日 9時25分
家族に見守られ、私の腕の中で苦しむことなく
穏やかに息を引き取り、虹の橋を渡りました
自宅サロンをオープンした5年前から
たくさんの方に訪れていただいたと同時に
たくさんの方に快く受け入れていただき
可愛がってもらいました。
ハイネに出会ってくださった皆様
本当にありがとうございました
写真を見返すと、いつも息子の側におり
あまりハイネだけの写真がないことに気付きました
どちらかを撮ろうとすると、特に小さな時には
必ずハイネか息子がフレームインしてしまう
そんな懐かしい日々にまた、涙がこぼれます
私は生い立ちや愛着障害ゆえに
結婚をしても、子どもを持つことに後ろ向きでした
思い返せば、私の辛かった時期には
いつも犬が一緒にいてくれ、支えになっていました
そんな私ですから結婚しても、常に不安で寂しくて
犬と暮らすために借家を借り迎え入れた流れは、
その心を癒してくれる存在に出会うことを
予感していたからかもしれません
何十軒もペットショップを巡りながら
子犬を探していました
特に条件もなく、こだわりもなかったのに
そしてどの子も可愛かったのに心が動きませんでした
ある日、ホームセンターに行くと
小さな子犬とは別に、ほぼ成犬の大きさで
サークルでのびのび過ごす子がいました
初めてみたシュナウザー。
髭を蓄え、とても可愛らしい容姿というよりは
性別不明というか、その姿から
『おじいちゃん?』という感覚でした
特価品
とデカデカと書かれて売られていたその子は
サークルから出て店内を自由に闊歩し
無駄に愛想を振りまくこともせず
かと言って吠えたり元気に走り回るでもなく
その存在に、とても自由を感じました
特価品 という扱いに
なんだか当時の自分を重ねたのを覚えています
ただ生きてきただけなのに
要領が悪く、自分の魅せ方も知らない
その価値を他人に決められ、
それを受け入れるしかなかった
自分と重なるその子は女の子で8か月でした
すぐに契約を交わし連れて帰りました
名前はハイネ。
ルーツのあるドイツの詩人から名前を決めました
生涯、自由と解放の思想を貫いた
ドイツの詩人ハイネは、
愛犬ハイネと私が目指す世界だったのかもしれません
犬を迎えることに嫌味を言われたこともありました
子どもを作らずに犬を迎える
ペットを飼うと子どもを授かりにくくなる…
ハイネを迎えて半年後、私は妊娠がわかりました
妊娠の喜びよりも、
犬と育児の両立に覚悟を決めた気持ちが強かった
案の定、
息子が生後1週間、ハイネ1歳半。
我が家に来たハイネは愛情を取り戻すかのように
天真爛漫で、3歳まではとにかくやんちゃでした。
運動量もいるハイネに合わせ毎日3Km
妊娠中からも変わらず、朝に晩に散歩しました
抱っこ紐の息子がベビーカーになり、
三輪車になり、乗り物が変わっても毎日いつも一緒
息子にもハーネスをつけ、鵜飼のように捌きながら
空き地で毎日ボール投げをしたり
1歳から3Km歩いていたことで息子の脚力が
身についたのは、ハイネのおかげかもしれません
毒親になりかけていた私は
息子の子育ては行き過ぎてしまいましたが
ハイネの躾は完璧に得意で
トイトレも無駄吠えもなく、息子にどんなに
めちゃくちゃにされても静かに寄り添ってくれました
時に一緒にいたずらをして叱られ
どちらかの具合が悪ければそっと横に寄り添い
ひとり息子の時に姉として
姉弟として1歳違いの彼らは大きくなりました
13歳を過ぎたあたりから老化が始まります
14歳で週に何度も点滴治療が始まり
この1年はハイネも家族も苦しいものでした
15歳になり、認知症に気付くと
あれよあれよという間にできないことが増え
大好きな散歩も、ただ座る、起き上がる
それすらも1人ではできない状態に…
それでも昨夏には点滴治療を終え、
痛い治療から解放してあげれたことが救いでした
ひとりで動けないこと、食べれないことに
ハイネのストレスは計り知れず
年明けには完全介護となりました
私も1時間半の睡眠を繰り返しながら
ハイネの最期まで見届ける覚悟をしていましたが
それはそれは壮絶な日々でした
息子はいつの間にか弟から兄となり
率先してハイネを気にかけてくれました
何度も散歩に連れ出したり、おむつを変えたり
声を掛け、自分は家で留守番して見守ってくれ
私や夫があまりにも辛くて、音をあげた日でさえ
一切、責めたり弱音を吐くことなく
側にいてくれました
3月。
家族とハイネの負担を考え安定剤を飲み始めます
薬の作用ではありますが穏やかになり
眠る時間が増え出しました
『体位を変えて』というクゥンという呼びかけが
私たちのコミュニケーションになりました
4月。
5日の誕生日を過ぎると、食事を急に嫌がり
スポイトで水分を与える日々に。
足先が冷たくなり始め、
いよいよ近づいたことを覚悟しました。
目やにが増えると同時に鼻が詰まり出し
息苦しさを訴えるのを、綿棒で丁寧にかき出し
その時間は、介護ではなく、
赤ん坊を胸に抱くような、母のような気持ちでした
9日。
なぜか今日のような気がして、日が変わっても、
何度も朝方からハイネのこれまでを思い出す時間が
増えました。寝付けませんでした。
息子に抱かせたい。
もしかしたら最期かもしれないからと…
予兆は全くなかったけれど
この、わかる感覚を確信しました。
息子を部屋から呼び、部屋から出た瞬間
小さな痙攣を一回し、そのまま私の腕の中で
家族みんなに見守られながら天国へと旅立ちました
愛を知らない私に
愛すること、愛されることを教えてくれたのは
ハイネでした。
父親や祖母。
どんなに大切な家族の死にも、
一滴も涙が出ない私が、ハイネの死には
人目を憚らずワンワンと声を上げ泣きました
愛するとは。
知ろうとすることなのかもしれません
愛されなかった私、愛を知らない私は、
どこかで人を信頼できず
勝手に傷つき、勝手に怒り続けました
言葉で伝えられるからこそ
言葉にしたことが全てで、知ろうとしなかったから
私が見たものが全てで
相手のその向こう側を知ろうとしなかったから
犬はどんなに賢くても
気持ちを言葉にすることはできません
もの言えぬ犬だからこそ
私はハイネを知ろうとしました
そしてハイネも私を知ろうとしてくれました
言葉というツールがないからこそ
五感で彼女を知り
心で愛をお互いに伝え合えたのだと思います
まだまだ悲しみは癒えません
彼女が寝ていた場所に私も横たわり
涙が溢れてきます
涙が枯れるまで泣こうと思います
ハイネとの16年間に後悔はありません
ハイネには、私たちを心配して振り返る間もなく
一目散に虹の橋を渡り
あちらで元気に走り回って欲しいと願います
ハイネにお花をくださった皆様
本当にありがとうございました
ハイネを可愛がってくださった皆様
本当にありがとうございました
かけがえのない家族として一緒に過ごせたこと、
ハイネに心からありがとうと伝えたい
大好きだったよ。
この先もその思いは変わらないよ。
ありがとう、ハイネ。
私がそちらに逝く時には必ず迎えに来てね
また向こうでいっぱい遊ぼう!!