振り返り:実際に行動したことからの気づき
感情解放ヒプノをして
母に大好きだと伝えた時でした
あの時、母に伝えられていなかったら
今の私はまだ
内側の私を癒せていなくて
母との関係もフェイクのままだったように思います
今回、私がずっとあれから1年、
ぐるぐると考えていたことを伝えました。
私はこの春、入院し、
自分の未来がいつどうなるか
誰が先に逝くかなんて神様しかわからない
と、本気で思ったんですね
同時期に祖母を見送りました
数年前には父を見送りました
その時からまだ頭にあること。
それは
県外の父を看取れなかったこと。
終末医療になる前に
連れてきた方が良かったんじゃないか?
そして
県外の祖母を連れ帰り見送ったこと。
祖母が、最期の地をここに選んだこと
それは少なからず本望ではなく諦めもあった
私たちの思い、考えだけで選択したことに
喜びではない感情を持っていたのを知っていたこと
さらにさらに遠くに住む母に対し
この両極端な思いを抱えながらも
母が未来に何を思い
これから私たちはどうするべきか?
それを言い出せないまま一年が経ちました
ですが、先延ばしにしていても
きっとまた行動をした後に、
父と祖母の時の思いがぐるぐる回る。。
それもわかっていたからこそ、勇気を出しました
母にしてみたら不愉快だったかもしれません。
読者の方には、なんて自分勝手な娘だと
思われるかもしれません。
でも私は、逃げたくなかったんです。
母と対峙するということは
母を通し、本当の自分、内側を見つめ直す
ということでした。
こちらに呼び寄せるのか?
そのまま、時が来るまで任せるのか?
・入院
・車
・住まい
・仕事
これらについて、
私は期限を決めて母の返答を待つことにしました
まず入院。
母の住む土地は確かに都会で
公共機関も充実している。
それ故に、知らない土地や乗り継ぎで
パニックが出やすい私には正直、負担でしかない
こちらなら大きな病院が四つは思い浮かび
全てが私でも自分の運転で動ける
父の時、1ヶ月別居というのを何度も繰り返した
その度に職場に頭を下げ
なんなら退職して、息子と2人実家に帰った
義実家にも、周りにも主人にも
申し訳ない気持ちでいっぱいだった
親が離婚した、というだけで
本当に頼るべきは娘の私なのか?
母の気持ち、父の気持ちはわかる。
だが、私の気持ちに気づいてくれただろうか?
確かに今の私は、時間に都合はつけやすい
でも、もう自分を犠牲にはしたくない!
次に車。
高齢者の事故には、特に胸が痛む。
車がないと生活できない、そのもどかしさもわかる
だけど、私含め、確実に歳を取り
判断力は下がっていく。
絶対大丈夫、はない。
車を手放せば
私が住む土地ならば、送迎という労力がいる
母が住む土地ならば、タクシーがいるかもしれない
どちらにしろ、その時に私に覚悟を持つこと。
時間を作る覚悟。
タクシーにするならば、そのお金を作る覚悟。
定期的な収入ではない仕事だからこそ
職を変える可能性や、金額を稼ぐ覚悟が
自分にはあるのか?
多くの人が大丈夫であって欲しいと願う。
頼むよ、事故らんでね、気をつけてね、
祈りの境地だ。。
私も、高齢じゃなくても周りにそれを願う。
だけど、リスクがわかっていてのその祈りは
起きた時に必ず後悔し、自分を責める。
そして万が一、命を失えばもう戻ってはこない
これは、入院して自分の命を考えた時も
思ったことだ。
私は病名は告げない。
優しさという名のお節介に傷ついたからだ。
片方はこれが正しいという。
片方はそれは間違いだという。
最終的に決めるのは自分だが、
不安な時は揺れに揺れ、迷いに迷った。
それだけ、私は生きたいんだなと気づいた。
そしてそれ以上に、
人に委ねた選択は、後悔した時に相手のせいにする
だったら、自分の意思で決め、
選択した方に全力で向き合う。
自分を信じるとはこういうことだと思ってる。