無事に祖母サチコの火葬を終え、
お葬式は本人の希望通り、
島根であげることになりました
しばらくは我が家で、お骨となって
見守ってくれることでしょう。
亡くなった日からの三日間。
もっとバタバタしたり、感情が追いつかないかと
思いましたが、意外に冷静でした。
以前より親しくさせて頂いた方が
葬祭場勤務ということ。
我が家の看取りやその後について話していたことを
ずっと覚えていてくださり、迅速丁寧な対応で
本当に助けてもらいました。
サチコは病院で亡くなりました。
父もそうでしたが父の場合は完璧な終活のおかげで
シナリオもきちんとできており、娘の私も
その通りに動くことで大変さがなかったんです
(パパ、ありがとう)
祖母サチコは、亡くなると同時に
葬祭場の手配を尋ねられたり
初めて知ることも沢山ありました。
残念ながら10分間に合わず、
着いた時には息を引きとっておりましたが
それは美しく穏やかな顔でした。
さてここからは、NEO節で書き綴りますので
感受性が豊かな人、頭がお堅い方は
自己責任で読み進めてくださいね。
サチコが息を引きとったのは
看護師さんから伺って〇〇時22分と知ります。
遅れて医師がやってきて
あれ?22分じゃなくて?と思った瞬間
先にいらした2人の看護師さんが
『22分で〜す』
体型もお顔立ちも違うお二人が
まるで双子か⁉️というくらいにシンクロして
透き通るような声でハモった瞬間
脳内が阿佐ヶ谷姉妹でいっぱい
だめだ!
意識してはダメだ!!
そう思えば思うほど、阿佐ヶ谷姉妹が侵食しだし
ごめん、ばあちゃん。。。
大事な話が入ってこねぇ。。。
そして、ハッと意識をここに戻すと
看護師さんから浴衣が必要と言われました
それも早く。
嫌な予感がする。。私の財布には。。
300円しか入ってねぇ。。。
そして、タケシくんに電話します
🧑🏻🦰『あのね、ばあちゃん間に合わなくてね』
👱🏽♂️『ああ、そうなんや。。今、急いで家に、、』
🧑🏻🦰『家じゃなくて、すぐ病院に来て!!』
👱🏽♂️『え、、だけど家に帰、、』
🧑🏻🦰『財布に300円しかなくて浴衣が買えん!』
👱🏽♂️『・・・😑😑😑』
皆さん、亡くなる時には
何が必要かわかりません
常にお財布に一万円札のストックを
入れておきましょう
さて。葬祭場で棺に入れてもらいます
故人の好きだったものを、と言われ
我が家にいた時に毎日騒いでいた
甘味!酒!ビール!そしてオロナミンC!
棺に甘味は入れさせてもらえましたが
お酒は口に濡らしてくださいました
どちらにしますか?という葬儀屋さんの言葉に
ビール→日本酒というルーティンだったので
その順でいきました。みんな同時に口にしました。
『ばあちゃん、ちゃんぽんやな』
そしてオロナミンCは持ち帰ることになりましたが
自由人ちびNEO。
喉が渇いた!とその場でぬるいオロナミンCを飲む
ばあちゃんにお礼を言いなと言うと
生きている義母にお礼を言ったので



サチコの方よと、慌てて訂正。
まあ、確かに義母もばあちゃんやけども 笑
そしてお花を入れる時に一悶着が、、
このようにバランス良くお花を入れますが
私の元来の大雑把さ!センスの無さ!が
ないわ!!って感じだったらしく、
妹や義母、ちびNEOまでもが
私のお花を退ける!!並べ直す!!
なんだよ、チクショー



センスのなさを自覚している時は
お花はセンスある人に任せて
邪魔にならない場所に。。
写真と違って茎があったんだけど
私が並べた部分は、顔まわりに花より茎だらけ
うん、直してもらったほうが綺麗だ。。笑
さて、火葬の時間。
棺は霊柩車に乗り、火葬場へ。
男性陣が棺を霊柩車に乗せますが
張り切った義父!
いちばん先頭で足をぐねる!!
足を負傷したら!
棺が霊柩車(お高い)にぶつかったら!
サチコが棺からダイブしたら!!!!





いちばん、ドキドキした瞬間でした。
さてわたしは、霊柩車にのり出発します。
30代、40代。2度も喪主をするとは。。
火葬場で最後のお別れをし、
お骨が冷めやらぬうちに、呼ばれます
収骨のタイミングは1度目のアナウンスで流れ、
事前にトイレを済ませたり、荷物を移動して
2回目のアナウンスで
収骨のお部屋の場所がわかります
コロナ禍のこともあり、ごくごく身内のみ
速やかに一列に部屋に行きます
が!!!!
アイツがいない!!!!!
皆が一斉に言います。
『タケシは⁉️⁉️⁉️』
途中でトイレを見つけ、行ったらしく

(こういうとこ、マイペースです)
もう、締めだよ?
ドラマでいうエンディングですよ?
子供じゃないんだから、アナウンスで行けよ💢と
イラっと来た瞬間。
葬祭場の方もマジかって顔。笑
アイツはやってきました。
部屋が分からずに、全てのドアを開けてきた
ドヤ顔で言われても、、!
とまあ、こんな我が家らしい
ドタバタな送り出しになりましたが、、
笑いが絶えなくてね。
きっとサチコも大笑いしていたんじゃないかな。
葬祭場の方には、本当に感動して。
所作や心遣い、男性の方でしたが、
祖母を送り出す気持ちや敬意が伝わってきて
豪華なお葬式ではないのだけれど
精一杯のお気持ちが伝わりました。
お仕事にプライドを持って携わる方を間近で見て
サチコの命が教えてくれた、
最後の授業のようにも感じました。
私たちサチコの家族は、
共に40代の姉妹夫婦で若輩者です。
世間知らず、常識はずれかもしれませんが、
義両親は、そんな私たちを見て
自分たちの終活を考えだしたこと、
どんな風に見送って欲しいか、
思いを口にしてくれたり。。。
こうするべき、ああするべき
そんな助言もなく、
私たちの進行を見守ってくれました。
これは、私たち夫婦にしてみたら
大きな大きな成長、進歩なんですね。
ともに長子のため、他の兄弟よりも、
言葉は悪いですがコントロールがありました。
何度もそれで夫婦でぶつかりました。
30代でサチコの介護が始まり、父を見送り、
44歳の今があります。
あの時は一生懸命で、それ故に周りが見えず
悔しいとか、悲しいとか、辛いとか
そんなメガネで世の中を見ていたけれど。。。
誰も私を責めなかった。
サチコの最後も、みんなに、
ありがとうと、よく頑張ったねと言ってもらえた。
私は父もサチコの時も泣かなかったんですが、
それをどう捉えられても構わないと思っているのが
生前にこうしてあげたら良かったという思いが
ないから、なんです。
きっとね、湧き出してくると思います。
もっとできたことや、してあげれば良かったという
自責の念は。
突然で、悲しみが受け止められなかったり
パニックであったり。
生前の個人への愛の深さだって左右します。
それを隠したり無理に浮上させたりする必要もない
泣きたければ泣いていい
だけど、こんな私が一つ言えることは
生きている時に会いたいとか、
してあげたいことがもしあったら、
いつかではなく。
行動してください。
今は元気な親、友人、ペットかもしれないけど
死はいつやってくるかは分からない
いつか、ではなく、今感じたことを今やる。
私は、この1年間ずっと
自分の死について考えていました。
自分の死期が近づいた時に後悔したくないな、
いつかにしていることはないかな、って考えます
そして、この一連の流れは
実は全てがビックリするようなタイミングで
【死を願っていたわけではなく】
自分の現実創造に直結していました。
不思議な出来事がたくさんありました。
今を生きることを大切にしていると、
頑張ったり、焦らなくても
宇宙はその流れ、タイミングに乗せてくれる
我が身をもって実感しました。
見えない存在に助けてもらえたことが
沢山ありました。
最後の最後に。。。
ばあちゃんの亡くなった日を挟んで2日間。
2夜とも。。。
宇宙船に
私、乗ってきた!
ヒョエー!!!!笑
またその話はいつか。笑