今日は
阪神淡路大震災
23年目…
自分は20歳でした。
それから
12年後
今から
11年前に
ヤフーブログに綴ってた
当時の様子を
今年も貼り付けておきます。

12年前…。
崩れ落ちた町へ行った。
20歳の猿。
12年前の今夜。
仕事終わりにいつもの
居酒屋へ行くと
「おい!k介料理できるやろ?
明後日仕事休んで 手伝え!! 」
12年前の今朝。
恐ろしいほどの揺れ・・。
おかんが真っ先に
弟の寝てる部屋の
タンスの上のモンが
落ちてこないように支えてた。
激しく揺れる中。
とりあえず出勤し
事務所のテレビで見た
あの高速の崩壊は
この国の終わりさえ感じた。
ほんとに怖かった。
18日の夜。
その居酒屋でカンパ金を払い
深夜に出発するため準備。
夜中に3台の車で出発。
京都を出て大阪に入ったら
景色は徐々に面白いくらいに変化してた。
コンクリートがグラデーション。
何度も警察や自衛隊と口論。
「通行許可書を!」
「通行許可書を!」
道路もガタガタでジグザグ運転。
ビルは傾き あるはずの階がナイ・・。
住宅も屋根だけが乗っかってる・・。
5.1サラウンドみたいに
サイレンの反響音・・。
走る車にすがる目線・・。
到着したのは西宮の市民体育館。
早朝4時にトイレの列。
異臭・・。
早速テント建てて準備開始。
長蛇の列&質問攻め。
「何時から?」
「なにがある?」
「あたたかい?」
「タバコくれ!」
「どっから来た?」
「はやくしろ!」
炊き出し開始
順番待ちで喧嘩もおきる。
へんなリーダーも現れ
勝手に俺らに指示を始める。
しかもそいつが先に
飯を要求しやがる。
みんなもそれぞれ
「さっきのヤツの方が 魚が大きい!」
「もっと 暖かいモノ 持って来いよ!」
「量が少ない!」
「お前らは もっといい物食うんだろ?」
1番先にキレた・・。
「お前ら!生き残れただけでも
感謝しろー・・。」
「お前ら!生き残れただけで
感謝やろー!!」
良い事してるのに辛すぎた・・。
まだまだ猿は若すぎた・・。
でもその時は
それしか言えなかった。
先輩に涙を拭かれながら
体育館の裏に連れて行かれた。
もう太陽が昇ってた。
先輩は沢山励ましてくれてたけど
ペッシャンコの隣の民家の
一枚の張り紙をずっと見てた。
「ここにおじいちゃんが埋まってます
おねがいします。」
まわりを見ると
涙で文字は見えなかったけど
各家に一枚の張り紙が・・・。
その中に人が埋まってる・・。
頭がおかしくなりそうでした。
自然の猛威
人間の弱さ
地球の息吹
群集の怖さ
もちろん沢山の感謝の言葉頂きました。
大切なみかんやお菓子を
差し入れてくれました。
お年寄りが勇敢に見えました。
いつも弱そうに見えてた
お年寄りが
いざとなったら常に笑顔で
大きく見えた・・。
戦争はこんなモンじゃないんでしょうね。。
あのお爺ちゃんお婆ちゃん
今も生きてるかな?
その後大変だったと聞いてます。
孤独死したお年寄りが多いと。
あれから 12年・・。
生まれた子達も中学生か。
すごいな~。
亡くなった六千数百人の
希望でいてほしいですね。
もちろん 俺たちも。

このブログから
11年経ったので
みんな23歳かぁ…。
昨日テレビで
この日に生まれた子の
結婚式のニュースをしてました。
なんだか
他人に思えずに
見入ってしまいました。

いつか必ず起きる
大地震ですが
どんなカタチでも
生きていたいですね。
意識を持って
備えるコトは大切です。
その小さな
キッカケになればと思います。