なにを隠そう、私は、
とってもめんどくさがりや。
でも、そのめんどくささのなかにも、
1つは、
という、いい意味(?)での、前向きで、
一掃したいめんどくささ。
生きることそもそもの「めんどくささ」で、
自分を生きてないことからくる、「めんどくささ」。
自分が本来立つ場所、
めんどくさくなる一方で、ある意味当然。
なにかにつけて、
「チッ!めんどくせえな」
って、自分の中で、こっそり悪態をついちゃう。
でも、そのめんどくささのなかにも、
よぉく観察すると、実は種類があることに気づいた。
1つは、
なにか、不必要、無意味に感じるものごとに対して、
「こんなもの、なくなっちゃえばいいのに」
という、いい意味(?)での、前向きで、
破壊衝動的な、
一掃したいめんどくささ。
そしてもうひとつは、
自分をごまかし、フタし続けたことによる、
生きることそもそもの「めんどくささ」で、
こっちは非常に、問題なのだ。
自分を生きてないことからくる、「めんどくささ」。
自分が本来立つ場所、
歩む道、
進む人生から、
逸れているんだから
やる気は出ず、
めんどくさくなる一方で、ある意味当然。
次第に、
自分の喜びがなんなのか、
なにが好きで嫌いで
誰が好きで誰がそうでもないのかすら
よくわからなくなるから
態度はどんどん憂うつで曖昧になり
事態はますます、複雑になる。
そう、
その「メンドくさ」い状況は、
実は、自分が引き起こしている。
真実に、向き合うことから逃げてるうちに
「チッ!めんどくせえな」と言ってる自分が
実は誰より「メンドくさ」い(苦笑)
ホントの自分を生きていないとしまいには
人生そのものが
メンドくさくなる
すべてを「メンドくさい」と捨てたその先は
もう行き着くところ、
「死」しかない。
そんなアホな!ことはない。
一刻も早く
「メンドくさ」い自分は捨てて、
自分を生きなければ。
喜びしかない自分を。
(暑いのに暑苦しいタイトル、ごめんなさい)
