節分の今朝…
「自分を信じて。動くんだ。動け
」
みたいな、けっこう強めのエネルギーとメッセージを感じて、起きました。
焦り、とかじゃなくて、あきらめかけてどんより重くなってる私を
「お〜い。寝てる場合じゃないぞう
」
とけしかけてくれるみたいな、そんなエネルギー。
私、夢はまったく見ないんだけれど、
こういうエネルギーはたまに感じるんですよね。
エニアグラムで「タイプ7」がひどい、ネガティブはないことにして、
楽しいことに逃避するタイプの私は、
チャネリングを学ぶと良いらしく。
最近、実際に講座でやってみたり、すごい人のをまじかで見たりで
チャネリングに興味が湧いてきたので、
手軽にできそうな「チャネ・トレ」DVDを取り寄せて見ました。
やっぱり映像で見れる人以外にも、
フレーズが降りてきたり、
匂いがしたり、音が聞こえたり、いろいろな感じかたがあるみたい。
私はどうも、体感覚と、フレーズがくる感じです。
チャネリングについてはマッサージのセルフケアのように、
自分で楽しみながら、つながってみようと思う。
最近読んでないけど、私はけっこう
松浦弥太郎さんのファンである。
あの清潔感のある、誠実な生きる姿勢。
かといって良いかっこしいでもなく、
一生懸命ひたむきに生きてるのに決して、熱が言葉にあらわれすぎない
洗練された表現がすき。
たいがい読んでるのでおそらく、目にするのは初めてじゃないけど、
ときどきbotをフォローはしてて、
「新しいことをはじめるときは、何かひとつ習慣になっていることを
やめましょう。人は、そんなにたくさんのことはできませんから。」
ってツイートに、きのうぐっときちゃいました
私、本当に、なにかを捨てたり手放したりが、下手くそで。
そのためにさまざまな、いわば「強制終了」的なことを、体験してきたなぁと…
(遠い目
)
中でも去年まで、3年間ほど指導するがわで関わっていた、
とある協会の講座のことを思い出した。
毎年この時期(2月)って、ちょうど、指導者の研修がある時期でね…。
あのときのなんとも言えずどんよりとした、気持ちを思い出した。
今思い出しても、仲間の人たちは皆、
もっと人を、より良くわかろうとしてるような、
すごく良い人たちばかりだったし
(そうでなかったら仕事しながらそんなボランティア的なこと、やらないだろう)
先生も、中にはそれはそれは素晴らしい、天性のカウンセラーの方もいて。
私が今後、活動していきたいことの、
言ってみたら、基盤みたいなものを、そこでの活動で、
培ってもらったと今となっては、思ってる。
でも、私の中で、「協会のために」がんばるというスタンスはなにか違っていて。
そのズレは、私の中では、たぶん意外に重たかった。
自分で思っているよりも。
でもアタマでは「これは良い活動だ」と思っていたから、
なんとか、だましだまし、続けようとしていた。
そう、一昨年、今のヒーリングの先生に出会い、学ぶことを決めてからも。
なんかもったいない気持ちも正直、あった。
「せっかくやってきたのに」とか、
そこそこ名の通った団体だから、そこで指導者やってるっていうだけで、
箔が付くじゃん?みたいなけち臭い、ミエごころとか
でもねえ…
人間関係でも仕事でもなんでもやっぱり、
「終わってる」ことには正直にならないと。
そこにフタをし続けてると、惰性で続けてると、来るんだよねえ。
起こしちゃうんだよねえ、強制終了を。
私自身、そこで、お世話になった仲間とか、先生とかに、
イヤな思いさせたり、揉めたりすることになっちゃったし、
自分自身も、あちこちに迷惑かけるほどからだを壊した
(今思うと、アタマでごまかし続けた故に、そのツケがからだにきていた)
そのときはわからなかったけど、
「手放す」が、足りてなかったのよね。
いっぱいいっぱいに、勝手になって、
周りを巻き込んでしまったなあと…。
(弥太郎さん読んでるわりに、まだまだ吸収足りてないな…
)
今だからこそ思うことだけど、
もうあのときのみんなに、少なくともあの目的のもとで、
出会うことはもう多分ないからこそ、
もう気づかなきゃ、ダメだなぁと。
強制終了みたいな、傷や痛みの多いやり方はやっぱり繰り返しちゃ、
ダメだなぁと。
まわりに対しても、もちろん、自分に対しても。
あのときの自分は、たぶん未熟だったから、ああしかできなかった。
でも3回目の正直でいま、ヒーリングの講座に通っていて、
思うのです。
そろそろ、成熟した、美しいあり方に、なっていきたいって。
そうそう、百恵ちゃんが喝采の中で、
マイクをそっと置いて、フィナーレをした、みたいな美しさだよね。
大人になりたいね。
