今日は七草粥の日でしたね。
私、大好きなんですよ、七草粥。
そしてあの七草セット、「食べたい!」と思っても
明日からはどこ行ってもまったく売ってなくないですか?
自分で集めればいいのかもしれないけれど…![]()
「1年に1度」という限定品なのがまた良いのかしら。
でね、おかゆを夕夜用意したんだけど、
「おかゆは膨れる」という事実を忘れたかのように1.5合のお米を研いでしまい。
多量の七草粥ができてしまったので
今日は朝昼晩3食いただきました(最後焦げてきたけど
)
「お正月の疲れた胃腸を労って」なんていうけど、本当によくできてるよね。
お正月明けの出勤でくたびれたのか、
2日連続、口の内側を自分で噛んでしまった![]()
噛んじゃうときって、疲れてるっていうよね。
今日は仕事だったので、明日とあさっては、ゆっくり過ごします![]()
さて瞑想なんだけど、
初めて瞑想を習ったときのこと、思い出しつつ、自分でも復習がてら
思い出しつつ書いてみたいと思います。
私のヨガティーチャーのまた先生が東京から来て、手ほどきしてくださったんだけど
男性の先生だったからか、けっこうロジカルに教えていただいてそれまた
理屈から入りたがる私(シツコいけど風の星座が10分の7)にとっては
良かったんですよ〜すんなり入れて。
最初の頃の瞑想は、よく「俯瞰(ふかん)の目
」とかいうでしょ、
あれでとにかく自分自身を眺める練習だったの。
例えばサッカーでも野球でもなんでもいいんだけどさ、
自分の自分自身の母校とか、自分の出身地チームだと
たまたま目に入ったニュースでも、
「ん?!」とちょっと反応しちゃったりするじゃない。
特にスポーツファンではなかったとしても。
けどそれが、チェコとかよく知らないところの、選手もまったく知らないチーム
とかだったらあんまり、反応しないというか下手すると目に入ったことも
意識できないかもしれないよね。
要は、自分自身をチェコのチームみたいに(例えですので、すみません
)
眺めてみる練習。
と、簡単にいっても実際には相当むつかしい。
でも練習してるとだんだんに、
「自分自身が『自分だ!』と思っている自分」と、「本当の自分」がちょびっとずつ
スキマができて来て、別モノだなっていうのがわかって来たりする。
「自分自身が『自分だ!』と思っている自分」って、
感情と一体化しちゃっててちょっと厄介なの。
「感情」=「自分」みたいな感じで、
もう反応で生きちゃう世界。
「嫌な感情」
「即逃げる」
みたいになって、感情が自分の主人になってしまい、感情に振り回され、
自分が生きたい生き方ができない。自分を制御できない状態。
これだと本当の意味では自分自身を大切にできないし、
ちょっとザンネンな生き方になってしまうのさ〜。
私も数々やらかしたから、わかるんだけれどね![]()
いやいや感情はワルモノと言っているんではないですよ。
でも感情に振り回されて生きるのと、感情をちゃんと感じるのは別モノだから。
私は感情を無視して第二チャクラを弱らせがちだから、
最近きちんと感じきること練習中〜
長くなったので具体的にはまた明日にします。
寒くなったね。あったかくして寝ましょうね![]()
(つづく)
