初めて自覚した『幸せ』 | 「身近な生活が豊かをつくる♡無色透明の幸せ♡」

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新潟県在住☆
『身近な暮らしが豊かをつくる♡』統子のブログ

統子(とうこ)ですニコニコ




31年間生きてきて、
様々なことを経験したり感じたりしてきたけれど、初めて気付いたことがある。





『幸せ』についてですニコ




今まで、何かを目指して目標を達成することや、遠い理想を叶えること、欠点を克服することが幸せになるために必要だと思っていました。




一方で、日常生活を平和に送れることや、家族で健康に過ごせることも幸せなんだろうな〜とも思っていました。




でもどこか他人目線だったり、
外から自分を眺めている感覚で、
『家族で過ごしているワタシ(幸せ…だよねラブラブ)』みたいに感じてたり、




好きなコト、と自覚していることをやってる最中にワクワクドキドキ『幸せだーアップ』と思ったり。





つまり、明らかにアタマで幸せを自覚してる状態何かや誰かを目指すこと&達成することが『幸せ』だと思っていました。




そんな私が、
自分と向き合うためにノートを書き始めて
半年以上経ったとき、ソレは起こりました。
去年の12月でした。(ノートについてはまた改めて)





夫と娘の3人で休日を過ごしていた時です。




良いお天気で朝から心地よく、
3人でイートインのある大きめなパン屋さんに行きました。




パンを選び、店内の窓際カウンターに座ります。



その窓からは、植えてある植物が見え、太陽の光が差し込みます。



パンも美味しいキラキラ




食べ終わった後は、地元の野菜を売っている
JAのスーパーへ。




新鮮な野菜、
ちょっと珍しい野菜が並べられ、
どれも美味しそう音譜




ふと、3個入りのゆずが目に入りました。




「そういえば、お家でゆず風呂って入ったことないなぁ〜」


と思い立ち、購入。
(出身が沖縄なので、ゆずよりシークゥワーサーの方がなじみ深い)




夕飯は違うスーパーで購入した新鮮なお魚。
取り残しの内臓と血を、無心に、ていねいに洗い流し、料理をします。





食べ終わるとお風呂の時間。


ネットにゆずの皮を入れ、
お風呂に浸かるとすーっごくいい香りが広がりますラブラブ





こんな風に
その日は1日中心地よさだけを
感じて過ごしました。





翌日の朝でした。





ボーッと紅茶を飲んでいた時に
急に悟ったんです。前触れもなく。





昨日感じていた
感覚こそが幸せの正体だとキラキラ





私が感じていた感覚とは、
心地よさでした。




感覚を言葉にすると、



頭の中に誰もいない状態


私すらいない真点から視てる


無心


五感を味わってるだけ



だったんです。



キラキラでもなく、ワクワクでもなく、
おおーー‼︎でもなく、きゅぴーんでもなく、

     




無色透明。




シャボン玉のような感じです。イメージ。




無なんだけど、心地いいんです。




それこそよく「今に生きる」とか言うけど、




感覚を頭じゃなくて体感してる瞬間こそが、
「今を生きる」であり、「幸せ」なんだなって。




この『無色透明の幸せ』に気付いた時、
結構な衝撃をうけました。





だって、あれを幸せと言うなら
私が目指したり、求めたり、思い込んでた 
幸せってなんなんだよっ!って。笑




全然がんばらなくていいじゃん‼️って。




もう「在る」、すでに「在った」
なんてーーーーーーーーーってあせる




概念では「身近な幸せ」とかよく言うし、
わかっていたつもりなのに、
本当はぜんぜん腑に落ちていなかったんですよね。





頭で考えてただけ。





きっと、今までもその日みたいな感覚には
何百回もなっていたんだろうけど、
ソレを「幸せ」だとまったく気付いていなかった。





なぜなら、





無心




だったからー‼︎‼︎‼︎笑




あぁ、パラドックス〜〜笑い泣き





それ以来、私の中で無心心地よさが大きなキーワードになりましたラブラブ




私のやりたいコトにも
多大なる影響がありましたラブラブ




その話しはまた今度いたします照れ



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