こんにちは
(*^▽^*)
 
 
前回のブログでは
バッタの住まい環境から
命はなぜ尊いのか?
人間を殺してはいけないのは何故か?
という問いに行き着くことができました。
 
 
これは
言葉を変えると
命あるものは殺してはならない
死ぬとは何か?
何故生きているのか?
何故死ぬのか?
人間とは?等々
 
 
の問いにもつながっているといえます。
すごくそこはかとない問いに感じますが
普段考えてきていないだけで
今の私達にとって切っては切れない関係の問いだと言えるのではないでしょうか?!
 
 
何故切っても切れないのか?
 
 
生かすも殺すも人間のなせる技
私達人間の人としての道徳心という考えもあります。
だけど
世界レベルでみると
人が人を殺す戦いは続いている
ずーーーーーと((o(-゛-;)
ではその道徳心みたいなものはナンジャラホイ?!となりますね
命(生き物植物の命をどう観るか)
生きる
死ぬ
 
これらの出発は全て人間。
人間であるがゆえの疑問とも言えます。
だから自分とは切り離せない
むしろつながっているからこの問いを
追求探求したいのでないでしょうか?
 
 
であればそれらの疑問の出発である人間を知る必要がある
といえます(^_^)
 
 
 
人間を知るとは?
この見た目の話というよりは
考えが起こる
物事の認識の仕方ととらえてもらうとよいのかもしれません
 
 
では人間とは何か?
人間は何をどのように考えることができるのか?
人間は物事をどのように認識しているのか?
 
 
 
 
人間とは何か?!
人間がどんな容姿をしていようが
どんな国の人だろうが
なんか国語話すことができようが
できなかろうが
基は同じ人間であり
人間の脳で認識している世界観を
持ち合わせている
 
 
 
 
人間はとてつもない可能性を秘めている
「世界に一つだけの花」の歌詞にもある
一人一人が違う花、その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい!とあるが
大事に思うばかりに束縛してしまう
相対比較して自分を低くする
想い通りに行かなくてイライラして
八つ当たりしたり゛(`ヘ´#)
足の引っ張り合いとなる
利害関係での関係性構築
などなどで
可能性を開かすよりも
日常の生活、目の前に追われてしまう
それは
どうしてもそうなってしまう原因がある。
 
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でももう
秘めている場合ではなくて
出し惜しみすることなく
最大限に花を咲かせあう社会をつくる時代に突入している!
とかんじとっている方も少なくないはずです
ヽ(゚◇゚ )ノ
 
人間がどれだけ素晴らしい存在なのか?
疑う余地のないくらい
人間への無限の可能性を理解
している人から見たら
人間が愛おしい
全てが愛おしい
命の尊さや儚さも痛いくらいに果てしなく
愛おしい。
 
 
 
だから
人の可能性を開かせる社会を創ることに
力を注ぐ
 
 
それは
争いの価値基準
命の価値基準
死の価値基準
が今までにないくらい変わるということ
その結果ヾ(@^▽^@)ノ
人間(それぞれ)が、命が何故にどれほどまでに尊いといえるのか
を理解している人が沢山いる社会があふれかえる
o(^▽^)o
 
 
うまれながらの尊厳を
傷つけることもできず
奪うこともできず
殺すこともできず
与える事でないことも理解して
お互いの関係性を高めあう社会を創る
o(^▽^)o
 
 
 
何故命が尊いのか?
この問いが
問いでなくなる
 
 
 
人間への再規定
自分への再規定が始まる!!
と言えるかもしれません。+.。ヽ(*>∀<*)ノ。.+。
 
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最後までお読みいただきありがとうございます。
 
 
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