私が物心ついた頃には母は宗教に入信し熱心な信者だった。
幼い頃から当然の様に宗教の集まりに連れて行かれる事が
とても苦痛だった。
大人になる頃には宗教という言葉にさえ拒否反応を
起こすほど嫌いだった。
そして信者だった母をも嫌いだった時期が正直あった。
宗教の自由。
でも子供にとって選ぶことは出来ない。
少なくとも私には全くの選択肢は無かった。
何を信じるか崇拝するのかは個人の自由。
だけど強制・強要はしてはいけない。
神様が見ているから・・・
とてもいい教えだと今は思う。
本人が信じ、心の拠りどころにするのは自由だから。
そんな母親が去年亡くなった。
母の訃報を聞き実家へ駆けつけてくれた人の数は
余裕で100人を超えていた。
母は沢山の花そして人に囲まれていた。
目は口ほどにものを言う。
知らない人でも目を見れば分かる事が
たくさんある。
実家へ駆けつけてくださった全ての方が真剣に
涙を流し母との思い出を語ってくれた。
何人もの人が泣き崩れ立てない程になる姿を見て
初めて気がついた。
母が愛されていたこと。
何かを信じ共に歩む仲間がたくさんいたこと。
ただそれが宗教という枠の中に入っていただけのこと。
昔、自分が死んだとき何人の人が本当に心から悲しみ
涙を流してくれるのだろうかと考えたことがあるが
数人しか思い浮かばなかった。
心から自分の死を悲しんでくれる仲間
それは簡単につくれるものじゃない。
それは母がしっかりと生きた証。
子供に、こんなことを思わせるということは
母は決して間違っていなかったんだと
今改めて思う。
もうすぐ母の一周忌・・・
今でも実家には沢山の花や果物
そして私たち家族の健康を祈る手紙が
たくさん届きます。
