「願いが叶わない」と感じた時に見直したいこと | space-scale-story

space-scale-story

同じ時代を歩む人たちへ

こんにちは、スピリチュアルカウンセラーのYUUKIです。

 

今日は、日頃思っている事を書こうと思います。

 

それは、神社でのお詣りの仕方です。

 

参拝に来たのに、もったいない

お詣りの作法の話ではなく、神社に行き、賽銭箱にお賽銭を入れ、お祈りをした後の話です。

 

僕も時々神社に行くのですが、いつも気になっているのが、参拝後の行動。

 

参拝を済ませ、後ろを振り向いて歩きだしたら、もう何をお願いしたのか忘れていませんか?

 

願い事よりも出ている屋台に夢中になったり……。

「神社でお詣りをした」という実績に満足して終わってしまったり。

 

参拝するために、神社までわざわざ長い時間をかけて来ている方もいるだろうに、もったいないと思ってしまいます。

 

お願いされた神様は、願い事へのヒントや答えをすぐに示していることもあるのに、気づく機会を逃していることもあるのです。

 

その結果、「何も変わらなかった」「願いが叶わなかった」と思いながら、また同じ願い事をしに神社に足を運ぶことになってしまいます。

 

ろうそくの炎の話

実際に、以前こんなことがありました。

 

10数年前、僕が知り合いと一緒にお詣りに行った時のこと。

 

知り合いは以前その神社で光の存在を視たそうですが、「それはもう昔のことで、自分にはもうそういう力はない」と思い込んでいるようでした。

 

しかし僕が本殿の前に立つと、知り合いが視たという光の存在はまだそこに変わらず立っています。

知り合いは「自分にはもう視えない」と思い込んでいるせいで感じ取れていないだけです。

 

そこで神様に頼んでみました。

「人間と神様とのつながりは変わらないことが分かるように、本人にわかる形で現れてください」

 

その後僕は本殿の前を離れ、知り合いの参詣が終わるのを待っていました。

すると本殿の方から驚きの声が聞こえて来て、知り合いが駆け寄ってきたのです。

 

話を聞けば、知り合いが願い事を終えて顔を上げるとすぐ、目の前で燃えていたろうそくのうち1本の炎だけが激しく揺れ始めたといいます。

 

その日は風が強かったわけでもなく、激しく燃えたろうそくは1本だけ。

 

それを見た知り合いは神様からの迅速な返事に驚くと同時に、つながりが失われてはいないことを改めて感じたようでした。

 

 

受け取る準備までがワンセット

つまり、大切なのは受け取る側です。

 

願い事をしたら、受け取る準備までが必要です。

 

神様の答えは、必ずしも光り輝く姿で現れ、威厳ある声で伝えてくるわけではありません。

 

どこかの看板の文字に、本の一文に、嫌いな人の言葉の中に、ふと湧き出る自分の発想の中に、子供の笑い顔に、いつも見飽きた風景の中に、願いに対する答えは予想外のところからかえってくる事がたくさんあります。

 

ですから、自分が何をお願いしたのかを常に覚えていてください。

 

そして、その答えが自分のもとに届けられるのだと、心に留めておくとよいです。

 

経験上、答えは自分にしか分からない方法で届けられる事が多いです。

 

他の人とは違う現れ方でやってきても、疑ったり、見逃したりしないことが大切です。

 

以上は私見ではありますが、参拝しても願いが届いていない気がする方は、「受け取る準備が出来ているだろうか?」という視点を持ってみてはどうでしょうか?

 

 

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

個人セッションのお申し込み、詳細については、以下の記事からどうぞ↓