アニメはサザエさん一筋だった次女が、おさるのジョージにもハマりだした。

気まぐれで録画したのもが一話だけなので、それを毎日繰り返し見ている。

私は他の事をしながらチラチラ見ているものの、5回を超えると飽きてきて、

10回くらいになるとウンザリしてくる。

 

たまたま長女が英語に興味を持ちだしたようなので、音声を英語にしてみた。

日本語の字幕も出せるし、長女には問題なさそう。

ジョージの声は変わらないし、日本語初心者の次女にも問題なさそう。

何より、私の英語の勉強にもなりそう。

機械音痴で、これまで音声切り替えに気付かなかったことが残念…!

 

ジョージと黄色い帽子のおじさんの来日し、お茶会に参加する場面。

茶室の外からジョージを遊びに誘うトラブルメーカーのニホンザルにジョージが

注意を促すものの、全く聞く耳を持たれず、彼らが茶室に乱入してしまう…

 

【ナレーション】

「…コミュニケーションに問題があったみたい」

「…something got lost in translation」(字幕が出なかったので、確実ではないけれど)

 

 

『lost in translation』という映画があったことを思い出す。

中身は観ていないか、観て完全に忘れてしまっているかのどちらか。

だから、内容とズレてしまっているかもしれないけれど、

「lost in translation」というのは、直訳的には「通訳や翻訳において何かが失われる」

ということで、その背景として主に挙げられるのが文化の違いだ。

 

でも、それだけじゃないよなぁ。

母娘間だって、愛する恋人同士だって、文化や言語や宗教を同じくしていても、

伝わらないことは多々ある。

本来伝わりやすいはずの人間同士でのミス・コミュニケーションは余計にストレスを生む。

 

例えば、

自宅で横になっていている妻:「ごめん、悪阻で気持ち悪くてまだご飯ができてない」

帰宅した夫:「えー、連絡してくれたら外で食べてきたのに」

 

私が息子の妊娠中に体験した事なのだが、「夫は外食してきても良いとして、妻子は

どうなるの!?自分の事しか考えてないよね!?」という悲しみや怒りに心が

支配されていたことを思い出す。

 

そうか、これも「lost in translation」だったのか。

外国人に「日本はこういう文化があるので、~な時は○○するんですよ」

というように丁寧に説明しないといけなかったのだな。

「気持ち悪くて料理できないので、代わりに作るか買ってくるかしてもらえる?」

と言えたら、少しは違ったのかもしれないが、そもそも、そう言える環境に

あったなら、とっくにそう言っていたというのも事実である。

(結局それから吐きそうになりながら作った)

 

とはいえ、悪阻の辛さというのは女性同士でも経験した人でないとなかなか

伝わりにくいし、アスペ気味の男性に口で説明するというのは至難の業。

実質、宅配弁当を利用するとか、両親を頼るとかしてみるしかなかったのだと思う。

 

私自身が、日本人同士とか親子とか夫婦とかいう理由で、相手の理解を

無意識に要求していたことに気付かされた。

今後、誰と接するときでも、通訳・翻訳するつもりをもって臨みたい。