体調が悪いというわけでもなく、ずーっとダルい。
寝ても寝ても眠いし、やる気があまりおきない。
今に始まったことでもないようにも思えるけれど。
ちょっと頑張ると、次の日何もできない。
夏までは長時間眠ってくれていた次女が、夜中~早朝に
かけて何度も起きるようになったこと、母乳で育てていること、
ホルモンバランスの乱れ、寒くなってきたから…
色々理由は考えられるのかもしれない。
でも、なんとなくなのだけれど、気持ちの問題かなぁと感じる。
気持ちというか、「気」?「気力」?「精神力」?
適当な言葉がみつからない。
良くも悪くも私は思い込みの激しい人間だと思う。
(悪い方が多いけれど)
現実世界がひっくり返るまで、私は自分の信じてきたことを
がむしゃらにやってきたんだと思う。
時には嫌々ながら。
時には「~しなければ」という恐怖に駆られながら。
時には「絶対~しかないに決まっている!」と自信満々に。
ところが、もう2年くらいは私の中で絶対的に正しいのだ!!、
というものが解らなくなってきている。
信じるものが無くなってしまっている。
突っ走る行き先を失ってしまっている。
それなのに、魂とか生まれ変わりとか天使とか石とか神様とか…
おとぎの世界かよっ!!!っていうような事柄に親しくなっている自分に、
「気の毒だなぁ」って昔誰かに対して抱いていた思いを、当てはめながら
自分自身を見つめる瞬間が今もあって。
だけど、息子を失って、周りに恐らく狂っていると思われながらも、
私自身はこの上なく真剣に、砂漠を素足で歩むごとく辿り着いたのは
そういう見えない存在たちであるわけで。
その過程で確実に私は多くを学び、恐らく以前よりは賢くなった。
英語は忘れたし、お金の殖やし方に興味は無くなったのに。
この頃、『全ては思い込みである』というようなことをよく考える。
スピ系とかその他でもよく言われていることではあるけれど。
初めて身体の内側から感じる。
そうか、思い込みの世界で生きているんだ。
なーんだ、そっか。。。
10年近く前、インド人の男性と知り合った。
日本語があまりできなくて職場で困っているという話を友人から
聞いて、英語でコミュニケーションをとるならwin-winの関係だと
思って時々友人として会うようになった。
ある日、ファーストフード店でお昼を食べることになった。
「豚肉の入ってないやつを選んで」と言われたので、
ツナか何かのサンドウィッチを選んであげた。
彼はスープも付けた。
食べながら会話も進み、楽しく過ごした。
スープを飲んでいた彼が、
「ん?これ何?」と口から何か小さいかけらを出す。
コーンスープか何かのチャウダーだったか、とにかく彼にとっての異物だった。
「豚肉?」
「そんなの入ってないと思うよ。」
…
…
「ハムだ。。。うわぁー何てもの食べてしまったんだ!!
どうしたらいいんだ!!とにかくもう外に出る!!」
もう、大災害か何かと思うほどの慌てぶり。
私も彼の慌てぶりにパニック。
二人で急いで外に出て、彼は自販機でドリンクを買い一気に飲んだ。
私はスープの中身まで気が回らなかったことを詫びながらも、
そこまで普通気付かないよなぁ…店員だって知らないだろうに。
とこっそり自分弁護をしていた。
今と違って、世間も私もハラルに対しての理解は無いに等しかった。
だが、ハムの小片を口にしても、彼に何ら健康害があるわけでもなかった。
ある意味、彼の思い込みによる独り芝居だった。
そして、彼の言動や宗教を冷ややかに見つめていたのも、私の思い込みによる独り芝居だった。
(周りの日本人が状況を解っていたら似たような反応になるとは思うけれど)
ただ、思い込みの内容にかかわらず、信じる度合いの強さは人を強くするなぁと
最近思うようになった。
交感神経が活性化されてでもいるのだろうか。
とにかく、方向はともかく前進する活力になる。
私も主人を責めていた時は、心の傷にかかわらず、行動しまくっていた。
でも、今は違う。
もう少し、このままの自分でいることを許してみよう。