何の計画も無いままの、息子の3回目の誕生日。

 

朝、両親からはお祝いの入った封筒をもらい、

普段閉めている仏壇を開けて供える。

「三才おめでとう

ずいぶん成長されたことでしょう

いつも○○(次女)と一緒にだっこしています」

 

両親はスピリチュアルは信じていない。

浄土真宗だけれど、信仰心は厚くない。

親子だけれど価値観は全く違う。

でも、なんとなく私も同じ気持ち。

 

なんとなく、手を合わせる気分ではない。

なんとなく、花を活ける気分でもない。

なんとなく、ケーキを買ってくる気分でもない。

 

それは次女が生まれて、世話に気が取られているせい

なのかもしれないし、違うのかもしれない。

そういえば、次女のお食い初めもしていない。

 

昨夜、娘たちを寝かしつけたあと、いつものように一息つきたくて、

色々食べたり飲んだり、ネットしたり。

日付を超えた辺りでは誕生日のことをスッカリ忘れていて。

 

キッチンで最後の洗い物をしていると、ふとまとまった考えが浮かぶ。

「辛い我慢を続ければ強くなれる、立派になれるというのは間違い。

ワクワクするようなことをして生きていかないと。」

ハッとして、息子の誕生日に気付いた。

 

思えば、幼いころは妹や従妹たちの手本になれ、敢えて負けてやれ、

という教えに従って生きていた。

己を抑えつければつけるほど、両親や祖父母は私を褒めた。

もうそんなことは言われないけれど、私の中には楽に生きることを

否定し、苦労に耐えることを好しとする習慣が染みついていた。

 

一昨年はスピリチュアル一色だった読書も、仏教や心理学にも

手が伸びるようになってきた。

色んな分野の方のブログも見せてもらっている。

あちこちで集めた智慧の破片を、三才になったばかりの息子が

つなげてプレゼントしてくれたかのようだった。