その作家さんが雑誌に書かれていたという内容がネットに出ていた。

 私はその雑誌を購入していないけれど、一部抜粋させてもらう。

 

 『私が思うにあの○○はいい意味でも悪い意味でも「鈍感力」があるのでは。
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 と屈託無く近づいて言ったはずだ。
 そう屈託なくだからお金持ちが自分たち△△を援助してくれたとしても
 それは当然のことと考えたに違いない。

 

 「好きでやってくれているんでしょう」

 人さまの好意は無邪気に受け取る、それを重荷に感じたりもしない。
 そして同じように、自分の能力や魅力も屈託なく信じることができる。』

 

 ある程度世間を騒がせていらっしゃる方(々)についてのことなのだけど、

 まるで主人のことではないかというほどだった。

 結婚前から、主人や義母についてはかなり気の利かない人々だという

 認識はあった。

 自分で言うのもなんだけれど、私は相手に割と気を遣う方だし、もてなすのが

 好きなタイプ。

 

 彼らを喜ばそうとすればするほど疲弊していっていることに気付かず、今耐えて

 もっと頑張ればいつかは伝わるはず…

 特に主人には「私の望むような夫に近づいてくれるはず」という虚しい期待を

 かけてしまっていた。

 大人の常識や儀礼的なものをほとんど知らず、夫として恥ずかしいレベルの

 人間を再教育してあげなければ、というくらいのつもりでいた。

 人をコントロールしようとしていたことに、全く気付いていなかった。

 

 息子を旅立たせてからの主人や義実家側の言動に耐えられず、義母には

 怒りに任せて長文メールをいくつか送り、それが義兄にも転送され、

 余計に拗れてしまった。

 息子のことに加えて、それまでの義実家への不満が一気に爆発してしまった。

 主人とも連日酷い言い争いをした中で、その鈍感力を認めざるをえない発言を

 聞くこととなった。

 

 「なぜ私や両親はあなたに色々と尽くしてきたのに、あなたは

 それを受け入れるばかりで自分からは何もしないのか?

 自分が私の両親から大事にされているのに、自分の母や兄が

 私に何もしてくれないどころか兄は意地悪さえするのを

 なぜ許せるのか?」

 というようなことを吐き出した。

 

 「それは自分たちがしたいからやってるんちゃうの?

 (もしくは、好きでやってるんちゃうの?)」

 というのと、

 「(母や兄からは)嫌われているからちゃう?」

 今はそういうものだと受け入れられているし、私自身が間違った思考
 をしていたことで自分を苦しめていたことが良く解るけれど、
 当時の私は目の前でそんな発言をしている人が人間だとは思えなかった。

 

 紅白まんじゅうのことを主人とメールでやり取りした。

 やはり進級用品袋の中身を確認しなかった私に落ち度があるらしい。

 親が違う、生活環境も違う、脳の作りも違う、心の働き方も違う。

 これ以上心の疲労を増やしたくないので、 事実をいくつか並べて、

 この件にはいったん蓋をした。

 こんなふうに逃げずに済むような大人になりたい。