「WILLCOM W-ZEREO3でストリーミング動画を見る」改め、「ビッグブラザーは歌を歌う」
日本人の労働時間って、たとえば製造業の場合だと、ドイツやフランスに比べて年間400~450時間も長かったりする訳ですね。(もちろん業種によってバラツキがあるでしょうからすべてに当てはまるわけではないでしょうけど。ソース記事)
これは過労死とか少子化とか、コミュニティの消失とか、表立っていろいろな問題が現れている訳ですが、しかし長時間労働によって失われるものというのは数値や現象として表出するものだけではないでしょう。
つまり、非常に素朴な意見ではあるのだけど、多くの日本人が、少なくとも平日に関してはほとんどのエネルギーを仕事に割かなければいけないという状況になっているわけで、すると政治のことや環境のことを考えたり、文化的に生産的な活動をしたり、といった時間がかなり少なくなるように思います。
ここで思い出すのがC・パラニュークの小説『ララバイ』の一節で・・・
『ビッグブラザーは監視しているのではない。
歌を歌い、踊っている。
帽子からウサギを出して人の気を引いている。
ビッグブラザーは、君が目を覚ましている間、絶えず君の関心を引きつけておくのに忙しい。
(中略)
ビックブラザーは君の意識がいつも満杯であるよう念を入れている。
そしてこのくらい満杯だと、監視されているよりもなお不幸だ。
意識が常に世界によって占領されていると、君が何を考えているか、誰も気にする必要がなくなる。
すべての人の想像力が退化していると、誰も世界に脅威を与えない。』
(ビックブラザー、というのはジョージ・オーウェルの小説『1984』に登場する独裁者の名前で、世界を監視し、支配しているような超越的な存在の比喩としてよく使われるのだけれど、ここでパラニュークが言っているのはつまり、たとえばテレビや音楽、インターネットに乗っかってやってくる大量の情報、刺激に僕らは中毒になってしまい、絶えず意識を満たさずにはいられない。
そうやって僕らは考え、想像することをやめてしまい、権力に盲従する扱い易い従順な羊になってしまう。
しかしここでパラニュークの言う「権力」というのは政府とかそういう話ではなくて、僕ら自身の中に偏在するものです。
難しいことは出来るだけ考えずに居られたほうが楽だし、単純な二分法で説明してくれた方がわかりやすい。よりドラマティックに、なおかつ単純に。
まあこういう話は、ミッシェル・フーコーの『監獄の誕生』から始まっていくらでも教材はあります。)
で、『ララバイ』のパラニュークが批判しているのは物質主義的、享楽的、刺激過多、情報過多の世の中のことなんですが、労働過多、というのもここに加えておきたい。
もちろん時間があるからといってみんながみんな政治のことやら何やらを考える訳でもないでしょうし、個人レベルで見て行けば、「仕事で自己実現して充実感を得られているんだからいいんだ」っていう人も多いのでしょうが、しかし日本人トータルで見たときに、これらの時間的ロスというのは馬鹿にならないんではないかと思うんですよね。
(というのはつまり、日本人の政治意識とか芸術や学問に対する教養とか、環境に対する意識が先進国の中でもかなり低い、みたいな話はよく聴きますが、これって労働時間が長い故にそれらを考える余裕がない、という部分もかなりあるのではないかと思うのです。
日本人総体として考えたときに、それらを考える時間が労働にまわされている。だから、たとえば政治のうちでも経済の絡まない部分とか、あるいは芸術や環境が語られる際に、いわゆる労働者、ビジネスマン層の存在感が非常に希薄に感じられるように思います。
主婦と学生と老人と大学教授の姿は見かけるのですが。
まあこれはかなり主観的、感覚的な意見で、ただの思い込みかもしれません。)
と、導入のつもりで始めた話がすっかり長くなってしまいました・・・
ほんとは、時間がなかなかとれないから通勤時間にネット配信のビデオニュースを見ようと思い、そのためもあって巷で大ヒットしたウィルコムのスマートフォン、W-ZERO3を買って、ところがそのビデオニュースがストリーミング配信だったからさあ大変、っていう話をしようと思ってたんですが・・・
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これは過労死とか少子化とか、コミュニティの消失とか、表立っていろいろな問題が現れている訳ですが、しかし長時間労働によって失われるものというのは数値や現象として表出するものだけではないでしょう。
つまり、非常に素朴な意見ではあるのだけど、多くの日本人が、少なくとも平日に関してはほとんどのエネルギーを仕事に割かなければいけないという状況になっているわけで、すると政治のことや環境のことを考えたり、文化的に生産的な活動をしたり、といった時間がかなり少なくなるように思います。
ここで思い出すのがC・パラニュークの小説『ララバイ』の一節で・・・
『ビッグブラザーは監視しているのではない。
歌を歌い、踊っている。
帽子からウサギを出して人の気を引いている。
ビッグブラザーは、君が目を覚ましている間、絶えず君の関心を引きつけておくのに忙しい。
(中略)
ビックブラザーは君の意識がいつも満杯であるよう念を入れている。
そしてこのくらい満杯だと、監視されているよりもなお不幸だ。
意識が常に世界によって占領されていると、君が何を考えているか、誰も気にする必要がなくなる。
すべての人の想像力が退化していると、誰も世界に脅威を与えない。』
(ビックブラザー、というのはジョージ・オーウェルの小説『1984』に登場する独裁者の名前で、世界を監視し、支配しているような超越的な存在の比喩としてよく使われるのだけれど、ここでパラニュークが言っているのはつまり、たとえばテレビや音楽、インターネットに乗っかってやってくる大量の情報、刺激に僕らは中毒になってしまい、絶えず意識を満たさずにはいられない。
そうやって僕らは考え、想像することをやめてしまい、権力に盲従する扱い易い従順な羊になってしまう。
しかしここでパラニュークの言う「権力」というのは政府とかそういう話ではなくて、僕ら自身の中に偏在するものです。
難しいことは出来るだけ考えずに居られたほうが楽だし、単純な二分法で説明してくれた方がわかりやすい。よりドラマティックに、なおかつ単純に。
まあこういう話は、ミッシェル・フーコーの『監獄の誕生』から始まっていくらでも教材はあります。)
で、『ララバイ』のパラニュークが批判しているのは物質主義的、享楽的、刺激過多、情報過多の世の中のことなんですが、労働過多、というのもここに加えておきたい。
もちろん時間があるからといってみんながみんな政治のことやら何やらを考える訳でもないでしょうし、個人レベルで見て行けば、「仕事で自己実現して充実感を得られているんだからいいんだ」っていう人も多いのでしょうが、しかし日本人トータルで見たときに、これらの時間的ロスというのは馬鹿にならないんではないかと思うんですよね。
(というのはつまり、日本人の政治意識とか芸術や学問に対する教養とか、環境に対する意識が先進国の中でもかなり低い、みたいな話はよく聴きますが、これって労働時間が長い故にそれらを考える余裕がない、という部分もかなりあるのではないかと思うのです。
日本人総体として考えたときに、それらを考える時間が労働にまわされている。だから、たとえば政治のうちでも経済の絡まない部分とか、あるいは芸術や環境が語られる際に、いわゆる労働者、ビジネスマン層の存在感が非常に希薄に感じられるように思います。
主婦と学生と老人と大学教授の姿は見かけるのですが。
まあこれはかなり主観的、感覚的な意見で、ただの思い込みかもしれません。)
と、導入のつもりで始めた話がすっかり長くなってしまいました・・・
ほんとは、時間がなかなかとれないから通勤時間にネット配信のビデオニュースを見ようと思い、そのためもあって巷で大ヒットしたウィルコムのスマートフォン、W-ZERO3を買って、ところがそのビデオニュースがストリーミング配信だったからさあ大変、っていう話をしようと思ってたんですが・・・
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