近頃楽しんでいることのひとつに

 

『子どもの宿題をみる』

 

というものがある

 

 

 

 

今まで全く見なかった

わけではないのだけど

 

向こうが何も言わなければ

こちらもなにもしなかったり

 

宿題一緒にやってと言われても

終わらせたい片付けやらなんやらを

優先したりしていた

 

 

 

自分が親に宿題など

見て貰ったことがない

 

旦那さんもそうだったとのこと

 

 

だからなのか、宿題を見ることに

私は今まで重要性や意識をあまり

向けてこなかった

 

 

というか

 

 

自分が求めているものを

与えて貰ってこなかったという事が

 

自分が与える側になったときに

無意識に拒否してしまう

 

そのような働きも起きていたように

最近になって感じることができた

 

 

幼児期からネグレクトや虐待を受けて

大人になった方の

子育てにおいての葛藤や過程を

取材している映像があって

 

以前それを見ていた時のこと

 

 

自分自身が親にやってもらって来なかったことを

我が子に施すことがどうしてもできなくて

とてもつらかった時期があると

その当事者の方は話していた

 

自分が虐待を体験していた年齢に

自分の子どもがなったころに

それが出てきたと

 

 

ああそうかと

 

自分自身に照らし合わせて

大変に納得したことがあった

 

 

宿題をみるのもおなじことだと感じた

 

 

 

次男はすこし発達が個性的で

勉強に苦労することが多く

 

丁寧に関わりたいなと思い

 

宿題を横で見るようにしていた

 

 

そうすると

 

 

何かパワーアップアイテムでも

手に入れたかのように

 

一人でやっていた時とは

違ってくるのを身をもって感じた

 

 

親が隣に沿っていること

 

そのことが

 

これほど違いを生むのかと

 

本当に驚愕した

 

 

第三者から見ると実際はそんなに

違わないかもしれないが

 

私には驚愕するほどの

違いを生むことを強く感じた

 

 

オステオパシーの施術の原理と同じだ

 

 

受け手の周波数と

 

術者の周波数が共鳴することで

 

波の振幅が倍になり

 

一人では向き合えなかった病変を

 

超えることができる

 

 

 

そしてさらには

 

これはこどもにのみ起きていることではなく

私自身にも同様に起きていて

 

私が過去でスタックしていたものや

自分自身の子ども時代の経験による悲しみを

 

自分自身で回収して包み込んでしまえる

 

 

そういうことにきがついた

 

 

別にそれが宿題でなければ

ならないのではなく

 

 

何をするにも原理として

そのような働きがあるということ

 

そのことを子どもたちに教えて貰えた

 

 

 

子どもたちは

宿題をやらないならやらないで

いいのだけれど

 

やはりやらないことを選択したら

本人達が気持ちが悪い感じがしたり

 

結局次の日に自主的にやっていたりする

 

 

私自身も宿題というものは

 

毎日毎日習慣として取り組む姿勢や

向き合う自分の精神の鍛練が

 

エーテル体に少しずつ定着して

それが後の自分にとても良い作用を

もたらすように感じるので

 

 

そういう意味でしっかり取り組んで

貰えるといいなと思うし

 

自分自身も子どもと一緒に

鍛練したいなと思う

 

 

 

中学の宿題なんて

私には教えられる頭がないから

 

それこそ一緒に学べるチャンスだな