どうしてもハンドルシリーズになってしまうけど、
そうなっちゃう内はそうしかない。
自分でハンドルを握ってない(と思い込んでる状態)ということは、
自分の中に自分が不在(のような状態)ということになる。
それって、
自分の中に自分独自の基準のような指針?
簡単に言えば、自分の中に「これでいいんだっていうモノサシ」が無いということ。
他人事のような書き方だけど、それって辛いよね。
どうしていいか分からない状態。
そして、
この「どうしていいか分からない」状態は、自分の中で繰り返し繰り返し繰り返し現れる状態だった。
気づいたらまた「どうしていいか分からない」状況になっていて、
ホント「もうどうしていいか全然分からなかった」
おいおい、またどうしていいか分からない状態ですよ。
そんな突っ込みを自分に入れたことは、数え切れないくらい。
そして、心の底から叫んでいたんだと思う。
「誰か何とかしてよー!」
「誰でもいいから助けてよー!」と。
きっとこれは自分の親に向かって叫んでいたのだろう。
小さな頃の私が、お父さんとお母さんに。
でも、お父さんとお母さんも自分の人生のハンドルを握っていなくて、
自分お父さんとお母さんに、同じように叫んでいたんだろうなと思う。
自分の中に自分基準のモノサシが無ければ、どう決めていいのかの基準が無いってことだから、どうしていいか分からなくて当たり前。
結局は、自分で決めた責任を取りたくないから、決めれられないのだけれど。
実際意識上で起きてるのは、
自分で決めるやり方も分からないし、
そもそも自分で自分の責任を取れるなんて思ってもいない。
自分以外の誰が責任取れるんだっていうの。
って、突っ込みを入れたくなるけど、
本人にしたら、本当に自分で責任取れないと思い込んでるんだから、どこまでも深刻な問題だ。
解決方法の探しようすら無いのだから。
かといって、誰かに決めてもらうことも気に入らなくて。
全くめんどくさいことこの上無し。
こんな茶番に付き合ってくれていた人たちに感謝ですね。
もうホントにどうしていいか分からない!時は、
もうホントに何もかもにイヤになっている時は、
無力感にボコボコに打ちのめされている時こそ、
自分が自分の人生のハンドルを握っているか、自分と向き合うタイミングなのかも。
自分の責任を自分で取ると、決める。
あるいは、自分で自分の責任を取るしかないと諦める。
「あきらめる」は、「明らかに見る」だと教えてもらいました。
足りない所探しに使って来た、長年かけて磨きあげてきた高性能のサーチライトの照らし場所を変えてみる。
怖いけど、大丈夫。
怖さの正体を思い切って見てみたら、楽チンになるから。
そして、その先は先のお楽しみ。