ありとあらゆる、
全ての感情を持って生きるのが人間なんだとしたら、
どの感情も、
とんな感情も、
実は全てただのエネルギーなのだとしたら、
自分のモノとして握り締めなければ、
ただ起きては流れて行くエネルギーならば、
自分の中でどんな感情が起きても、自分のせいじゃないってことになりますよね。
本当は流れて行くだけのエネルギーなのに、
それを自分のモノだと思って、いいのと悪いのとに分けるから、
しかも、
それを自分のモノとして保管しちゃうから。
それに、考えてみれば、
いい感情はそのまま流して手放すことが殆どですよね。
留め置かない。
それなのに、
あー、それなのに、
悪いと判断した感情は、
何故かそのまま流さずに、
手元に置いてシッカリ保管してしまうことが殆どですよね。
しかも、
あまりに悪いモノだと判断すると、
見付からないように、
(誰に?根本はやっぱり親だったりするのかな?)
もしくは、無かったことにしようとして、
保管箱の奥の奥に仕舞って、シッカリ鍵なんかかけちゃったりして、
でも、仕舞って鍵をかけたことは、
自分だけは知っているし、
忘れたことに出来たとしても、
本来ただ流れて行く、
実は誰のモノでもない自然で透明なエネルギーだったのに、
わざわざ自分のモノとして留めて、
不自然に仕舞い込んでしまったか故に、
時間の経過と共に、
より不自然なモノに変化して行き、
少しづつ腐って行って、
いつのまにか腐敗臭までするようになって、
とんでもないモノに変化してしまったから、
どうしていいか分からなくて、
保管箱をもっと奥へ、もっと分厚くて絶対に分からないように厳重な保管箱へと変容させて行ってしまう。
元々は、
誰のモノでもない、
透明なただのエネルギーだったのに、
特別な私の特別なストーリーに相応しい記憶に再構築して、
色々な色を不自然につけて取り込んじゃうから、
なんとも複雑なややこしいコトになっちゃうわけですよね。
ホントに、どこまでもストーリー好き。
どうしてもドラマチックに持って行きたがる、
それもどう考えても大変な方へ。。。
ドラマチックレイン
そんな名前の歌がありましたよね。
ドラマチック好き、それが生きてるってこと?
また、見も蓋も無いことに。
どのエネルギーはOK で、
どのエネルギーはOK じゃないのか、
それを決めれるのは、自分だけ。
どのエネルギーもただ自分の中を通るだけのモノなのだとしたら、
それを悪いモノとして、自分の責任だと感じて留めたのなら、
そもそも無実の罪だったのだし、
責任感の強い、いい子であり、いい人だってことですよね。
ということは、
私たちって何て素晴らしいのでしょう。
ってことなのかもしれませんよね。
ビバ!
そうか、
ありとあらゆる、感情を持って生きるじゃなくて、
ありとあらゆる、感情を感じて生きる。
を、選べばいいってことかな。
と、今気付きました。
感じてみよう。
うん。