非二元を知り、いつの間にかそれらの言葉がレベルが高いとか、
それが正しい、
目指す状態はこっちだ、
そんなことを思うようになっていたようです。
その中の一つで、
「思考の99%はゴミだ。
残りの1%はもっとゴミだ。」
この言葉を知って、
思考グルグルの私としては、
秘かにショックを受けました。
あー、
やっぱり私はダメなんだと。
まあ、言ってみれば、私の頭の中は役に立たないゴミだらけってことになるので。
どこまでも自分責めの材料にしていました。
思考グルグルのエゴだらけの、ダメな自分。
そんな風に。
でも、その言葉が指しているのは、
思考をものすごく信じてしまっているけれど、
思考は真実だと思い込んでるけど、
思考は真実じゃないですよ。
ってことだとも知りました。
だから、
どんなに苦しくて、思考が真実だとしか思えなくても、本当は思考はゴミなんだ。
それを信じて下さい。と。
この言葉で、本当に苦しい時は救われました。
どう考えても、自分の思考はリアルで、真実としか思えないけれど、
そうじゃないんだと。
そうこうしてる内に、
自分の中で勝手に、思考=エゴに変換されてしまっていて、
わけが分からなくなっていたようです。
あほや。
いつの間にか、私の中に(中に?)沸いてくる思考はダメだ。
そんな風に。
でも、
沸いてくるものは勝手に沸いてくるし、
ダメと思っていると、ダメの深みにはまって行くだけでした。
そりゃそうですよね。
それでやっと、
ああ、またゼロか10かをやっているコトに気付き、
思考だろうと、エゴだろうと、いいじゃないか!
思考が沸いて来て当たり前だし、
エゴエゴで当たり前だよ。
いつの間にか、思考ゼロを目指していて、
思考ゼロを正解としていることにも気付かず、
エゴまみれの自分を責めていました。
きっと、今も無意識でエゴちっくなコトを考えている時や、
エゴエゴな思考が浮かんだ時に、
自分責めをどこかでしているんだろうけれど。
もー、それも含めてそういうもんなんだと、ちょっと諦めつつあります。
エゴをダメな子と思って、責めていじめて、奥底で居なくなって欲しいと熱烈に思って来たけれど、
エゴもあっていい。
エゴエゴな私も大丈夫。
エゴエゴで当たり前。
エゴエゴなダメ子ちゃんを隠すのは止めて、
エゴエゴを楽しみながら、笑いながら、
心に太陽を持って、
唇に歌を持っていきたいなぁと、
キラキラの晴天の下で思っています。
どんより雲ってても、
雨がシトシト降ってても、
ものすごいどしゃ降りでも。
エゴがあって当たり前。
色々なコトをエゴのせいにして来ちゃったけれど、
エゴな自分をハバにするのは止めて、
もっと仲良く、もっと気楽に、もっと優しい気持ちで、
エゴちゃんを愛していこうと、
愛していきたいとおもいます。
いつも心に太陽を♪
いつも唇に歌を♪
♪