責任感のようなものの正体 | space-jupiterのブログ

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ハンドルシリーズになっているけれど、
自分でハンドルを握ることを決めたら、色んなことが腑に落ちて来た。


両親や兄弟に対する責任感のようなものの正体が。


例えば、母が病気で亡くなったこと。
もっともっとやってあげられたことがあったんじゃないかという罪悪感。


例えば、今入院している父に対してもっともっとしてあげなければいけないんじゃないかという罪悪感。


例えば、とっくに別家庭なのに、弟のアトピーに対する、ある意味意味不明な罪悪感。


数え上げればきっとキリが無い位に感じて来た、そして今も感じている罪悪感の数々。


根底にあるのは自分可愛さ。
自分がいい娘なのかどうか、自分がいい姉であるかどうか。


結局、そこが問題なんだと気づいた。



おいおいおい。



結局、自分ですよ。



それに、無力感のカタマりだと思ってるくせに、どっかで、私が親や兄弟の人生をコントロール出来ると思っているからこその罪悪感なんだと。


自分が自分の人生のハンドルを握って無いことに気づかない為に、他人の人生に首を突っ込んでいたのかも。


なんかもう、本当にすみませんだよね。


どこまでも大きなお世話だし、例え身内であろうと、本人だけが自分のハンドルを握れる。
いや、握っている。


一度たりとも自分のハンドルを離せる人は居ないよね。


それに、他人のハンドルを握っているつもりの時って、その人の運転をジャマしてるし、そもそも自分のハンドルを手離しちゃってるということだ。


そりゃ、事故になりますわな。
あは。