立川三軍記念 1968.5.12 (2020.11.01) | 新・駆け出しジイジのブログ

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主に飛行機に関することをアップしていきます。

前回は入間の東京航空宇宙ショーと立川の三軍をスキャンしましたが、今日はもう1本残っていた立川のネガをスキャンしました(スキャンデーターは全てノートリミングで貼っています)。

 

まずは入場した時もらった新聞。

普段見ていった新聞の大きさとは違って、タブロイドサイズと呼ばれるものだと知るのは『夕刊フジ』が販売されるようになってからでした。

表紙のお嬢さんは『左が基地司令官令嬢のアン・オルトさん、右が東映スターの萩玲子さん』の説明が記載されています。

 

この日は随分早くに自宅を出たらしく先にエンドへ展開し、展示機である海自のP-2や空自のC-46等の到着を撮っていました。

また立川の顔であるC-124の上がりは、50㎜でこの大きさ。

 

スキャンするきっかけをつくってくれたYS-11の#151

先日退役した#15152年前の姿ですが、今となってはそのYSより右下のお母さんの方に目が向いてしまいます。意図して入れたなら足元が入っていたはずですから、当時は「邪魔だなあ」としか思っていなかったはずです。

 

同じようにP-2J以前のV7であることより、前で記念写真を撮ってもらっている子どもたちの真っすぐ立った姿勢が、特別な出来事であることを表しています。

多分「早くどいてくれないかなぁ~」と思いながら、とうとう我慢できずシャッターを切ったのでしょうが、今になってみれば時代が分かる写真となりました。

 

私にとって米空軍のヘリコプターと言えばこのUH-19Bですが、2階建てだったことに改めて気づかされました。

ここでも学生服や吊りズボンなどの子どもたちに目がいってしまいます。

 

胴体に大きく『航空自衛隊 輸送航空団』の文字を入れたC-46

エプロンの人数は今と比べものにならないほど少ないのが分かります。

のちにベテランの方とお話をする機会があり、後ろに赤白に塗られた給水塔が印象に残っているのは、私だけではなかったことが分かりました。

 

国連軍の一員として駐留していたタイ空軍のC-47

機首に小さいですが、国連のマークが付いています。

翌(1969)年の横田三軍では同軍のC-123が展示されました。

 

C-124と共にC-130も立川の顔でしたが、特別な存在であったのがこのHC-130H

機首の回収装置と背中の大きなコブが特徴でした。

オレンジ色?のバルーンを上げ、それをV字に開く機首のフルトン回収機でひっかけ、要救助者を後部のドアから回収するデモフライト。

ネガのどこを探してもバルーンが見当たらないので、回収後なのか?それとも私の思い込みだったのか?当時を知る方に聞かない限り答えは出そうにありません^^;

 

同じC-130は、まだ3枚ペラのA型がいました。

展示機もA型でしたが、ここではハンガーで公開されていたアリソンエンジンを選んでみました。

 

入間の#151が退役しなければスキャンされることがなかったネガたちが、デジタル化されました。

それにしてもノートリミングのおかげで端っこまでゴミ、カビ取りをしなければならず、数百(もしかしたら千以上?)のポチポチ作業は、やっぱりつらい;;