大森さんとプロレスとわたし① | かおまるのキロクノート

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つれづれなるままに…
日々の事を書き記しております。

私の生活には常に全日本プロレスがあって、

大森さんがいた。


大森さんが全日本プロレスを退団するこの機会に、ちょっと振り返ってみたくなった。

長々とブログを書いてみようと思う。


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12月25日 クリスマス。

母からの連絡で、大森さんの退団を知る。



母も大森さんファンで一緒に応援しているので、とても動揺していた。

なだめるようなメッセージを返した。


Xに何かpostしなくては…

そんな事が頭をよぎる。


多分、みんな心配してくれているだろうから。。

「何か言わなくちゃ」と謎の使命感が。


しかし

【私も退団します】とか訳のわからない事を呟いてしまった真顔


まさに、つぶやき。

X(Twitter)でこんなに感情を漏らすのは珍しい気がする。と、今 冷静になって考えている。



私は昔から勘が鋭くて、何となく「観ておきたい!」と思い急遽 12.6 後楽園ホール大会へ行ったのだった。

何年振りかの後楽園ホール。

大森さんは、GAORA TVのタイトルマッチだ。



それが結局、全日本での大森さんを観れる最後の試合となる。


12月31日のラストマッチには行けない。

すでに仕事を入れている。駆け出しの個人事業主は稼がねばならぬ。

この日は、代々木に想いを馳せつつ仕事を全うしたいと思う。





私は全日本プロレスが好きになって、大森さんのファンになった。

当時、新日本プロレスも同じくらい好きで観ていた。


深夜に放送されていた『全日本プロレス マザー』で全日本プロレスを観ていた私は、その頃の社長であたった武藤敬司に心を奪われた。


「なんて美しいプロレスをするんだろう」


一度、肉眼で観てみたいと思うようになり観戦する機会を狙った。

その頃は遠征なんて思いも及ばなかったのだが、近々地元に全日本プロレスが来るという。

武藤さんも参戦する!

確かその時、ベイダーが来日しており試合が組まれていた。


地元で近い間隔で2回観戦し、完全に心を奪われたのだった。それは最強タッグの季節だった。


その頃は、GET WILD全盛期。


大森隆男と征矢学のタッグは最高にカッコよく、完璧なリズムで試合をしていた。


お揃いのヒョウ柄タイツを履いて、世界タッグのベルトを持っていた✨

あのとき、売店でGET WILD タオルを買わなかった事を今でも後悔している(笑)


そこからズルズルと全日本プロレスにハマり、今に至る。


そこで、

何で大森さんなのか?というところである。



それが思い出せないのだ!!!ガーン(笑)


以前、チームフルスイングの利根川代表に

「大森さんのどこが好きなの?」と聴かれた事があった。

その時も「なんか好きなんですよね〜」とぼんやりした回答をしたのをよく覚えている。


「なんか好き、の方が本気っぽいね!」と茶化されてしまうという(笑)




とはいえ、

顔がかっこいいとか、身体が大きくて素敵とか、試合が好きとか、ワイルドって言いつつ心優しくて好きとか、紳士だとか…とかとかとか!


言葉にしたら薄っぺらくなってしまうので、結局今もできないでいる。


『私の心を揺さぶってくる』といういことくらいしか言えない。


あのGet Wildのイントロを聞くだけで胸が高鳴るのだ!


それから大森さんは私に、たくさんの友達と出会う機会と、まだ行ったことのなかった知らない土地へ誘ってくれた。


たくさんプロレスの情報を得たいと活動した。

私の行動は直感に従い常に早い!

Facebookのコミュニティーに入り、他のファンの方々と交流し、紙テープも横断幕もみんな教えてもらって作った。


こうして応援できるようになったのは、あの頃のみんながいたから。今では会えない人もいるけれど、心の中で大切にしている。


写真を撮る事を覚え、SNS(当時はFacebookやアメブロが主だった)で全日本プロレスの楽しさや素晴らしさを発信した。


積極的に応援していると、誹謗中傷を掲示板に名指しで書かれたりもした。

怖くてショックでもう応援できないかもしれない…全てやめてしまいたい…と本気で悩んだこともあった。


しかし!何人たりともこの情熱を消す権利なんてない!と思い、踏みとどまったオエー


※ひとつ言っておくと、私は大ファンではあるが大森さんのプライベートに一切興味がなく、たぶんあなたより知らないと思います😂

表に出ている姿や情報で人となりを知り、自分の目で見て感じたように解釈している。

変なゴシップとか吹き込もうとして近づいてくる人いたけど、あ、そう。って感じなのでつまらないから離れていくのが常だった👋




そんな折、全日本プロレスから選手・関係者の大量離脱。


もう吐きそうだった。。

憧れの武藤さんが主力選手を引き連れていなくなってしまった。。

バーニングが外敵として来ており、対抗戦のようでいい感じになっていたのに!!!


絶望しかない。。


そんな中、GET WILD残留と知らせが!

もう私は2人が居てくれれば良いとさえ思った。


しかし欠場したまま征矢くんは居なくなってしまい、GET WILDは空中分解することとなる。


大晦日、実家のテーブルで突っ伏して泣いたのを今でも忘れない(笑)


もうこの頃の事があったから、ちょっとやそっとの事では動じなくなってしまったのだろう。


「あの時よりはマシ」って昇天


1人になった大森さん。


ひとりGET WILDは続いた。


あんなに敵対していた諏訪魔さんと組んだり、もう選手がいないからカードがめちゃくちゃ。


それでもやっぱり全日本プロレスはいつも面白くて、迫力があって、観に行く度に感動をくれた。


そんな中、行われたチャンピオン・カーニバル。


開幕戦の会場が土壇場で変わるという混沌とした時代。。本当に開催されるのだろうか?お客さんは入るのだろうか?と常にハラハラしていた。


この年、大森さんは優勝し、そのまま三冠王者となった。

私の初の遠征は、このチャンカンの前夜祭と開幕戦だし、初後楽園ホールは大森さんと秋山さんの三冠戦だった。




紙テープを初めて作っていき、投げたのもこの時だった。


プロレスを楽しみながらも、私は職場の直属の上司のパワハラに悩んでいた。身体も気持ちもダメになりそうなギリギリのところ。

辛い時も、いつもプロレスがそばにあって私を励ましてくれた。

毎日、大森さんのTシャツを着て出勤していた。

お守りみたいに。


負けても負けても、次の日には立ち上がり、己を奮い立たせて試合をするプロレスラーに自分を重ねていたのかもしれない。


心も身体も限界直前まで来て職場を辞めた。


辞める時、皆が「あなたが辞めたらあの部署どうなるの?」と言ってくれたが謝るしかなかった。

あんなに憧れて浪人までしてなった職業。

全部嫌になってしまった。


一度、離れることにして無職になった。


少し休もう。


時々、フラッシュバックされる辛い思い出に心をすり減らしながらも生き続けた。


でもプロレスは変わらずにそこにあって私を励ました。


そうだ!退職祝いに全国ワイルドツアーをしよう!


大阪のファン感へ行くと決めて、次の月の札幌大会にも行こう。


全日本プロレスの北海道ツアーに帯同してやろうか?とも思ったが流石にやめた(笑)


こんな破天荒を許してくれた家族には感謝しかない。1人で旅に出させてくれて。


大森さんを追いかけて西へ、北へ!


現地で会った仲間たちと行き当たりばったりの旅をした。

知らない場所でほとんど知らない人たちと、全日本プロレスという共通点だけで話は尽きなかった。


旅から帰って来て、また日常に戻ると現実が襲って来た。

時々来る寒気に震えながら、思ったこと。


【プロレス追いかけるのにお金がいる!】


魂が抜ける札束 笑


働かねば!!!


色々探したが、結局、前職の資格手当に適う仕事はなかった。

この模索期間に、今の起業に繋がるヒントが隠されていたんだから人生は伏線回収の連続だ。

パワハラ無能上司に出会ったのは本当に避けたかった事だけれど、結局この期間がなかったら今もないんだから恐ろしいよなぁ。。


もう一度、一から出直してやる!


という事で激務の職場を選んで、戻った。


原点回帰!

経験が買われて新人指導と兼務の仕事で、トドメを刺すくらいに勉強しながら働いた。


勤務体制が変わり、休みが取りにくくなったが、それでも月いち全日本プロレス観戦は続けた。


プロレス観戦を軸に生活が回っていく。

髪を切るタイミングや服を買うタイミングも全て。


そんな中、秋山さん社長のもと、大森さんは取締役に就任。


ちゃんとイベント参加できてる👍


横断幕を持ってたくさんの会場へ行った。


大森さんは秋山さんとのタッグ:ワイルドバーニングで世界タッグを何度も奪取。

この同期タッグも好きだった。



つづく。