2013指導法 5班担当模擬授業メッセージ及び本年度授業担当者としての一言 | Tatsumi Labo in Kio Univのブログ

Tatsumi Labo in Kio Univのブログ

ブログの説明を入力します。

720日指導法5班担当模擬授業メッセージ及び本年度授業担当者としての一言


模擬授業の最終回は、1・2限とも保健を扱いました。保健は、平成
10年指導要領(前要領)にて「心と体を一体として捉える」という観点の強調を転回点とし、現在もこの考えが踏襲されています。1限目・2限目ともに、6学年「病気の予防」の単元の授業を受け持ちました。実は私、皆さん方に講義用の指導案の記載方法を指導することを失念し、申し訳なかったです。しかし、皆さん班なりに試行錯誤し、きちんと提出してくれていました。他の教員から指導を得たのでしょうか。

 

授業の内容について、私から何かを話すようなことはありません。スタートラインとして、評価できるものと思います。日々、科学は進歩していますから、内容の抽出とその妥当性を今後、授業を反復する中で更新していく努力が大事になってくるのではないでしょうか。授業の講評にて、私の方から出張先での出来事を例に語りました。あの場面で述べた解釈はきちんと検証したものではなく、あくまでも仮定だと断っています。当然として認識していること、通念となっていることも、多様な環境にふれ、見方を変える・視点の移動を可能にすることにより、異なる見立ても可能になりうると言いたかったのです。

 

今回の模擬授業で課題点として提示したのは、1限目・2限目ともにグループ学習のあり方でした。このグループ学習、実は第二次大戦後の新教育・新体育において、民主的な人間形成が課題とされ、問題解決学習の有意な学習形態として広く導入されたものと解しています。しかし、195060年代の間に問題視されたのは、児童同士の話し合いに時間を割き過ぎ、学力・運動能力の形成に的確に貢献しなかった点にあるようです。体育授業の場合、汗をかかない授業が横行し、問題視されました。そこで登場したのが、体力・技能主義の体育であり、系統的な学習指導への転換が課題とされました。学力低下・体力低下の問題が叫ばれるようになり久しくなりますが、この当時にも同様の問題が露呈していたのですね。私見ではありますが、類似した時代過程を現在も繰り返しているのではないかという仮説を抱いています。

 

では、グループ学習は有意な学習形態ではないのかというと、全くそうではありません。重要なのは、協同学習を成立させるための工夫にあると考えるのが妥当でしょう。例えば、グループの成員構成のあり方です。リーダー的な存在、もしくは発言者が成員にいなければ、議論は成り立ちません。リーダー的存在や発言者は、正しい発言をする者に限りません。過った発言をする者を軸に据えても良いでしょう。議論は対立する意見が相互することで成立するという側面があるからです。それから、教師による机間巡視は基本であり、議論が進まないグループへの何かしらの介入が必要になるでしょう。それが皆無になれば、教師側の学習指導の放任ということになるでしょう。なお、授業ではふれませんでしたが、グループ学習と班別学習の違いについても理解しておく必要があります。

 

最後に、授業終了時に、講義用の授業評価の項目を観点別に説明しました。そこで用いた項目・観点は、吉備国際大の教育心理学者らが作成したものを小学校用に改変したものです。まだ検証はしていません。あくまでも参考までに修めて下さったらと思います。今後、皆さん方なりに考察し、見極めていく視点にはなるのではないでしょうか。

 

最後に一言:体育科指導法の模擬授業は、この授業を以て終了しました。当方が自覚している課題点として、この度の指導法では、体育授業に係る概念的な知識の伝達に比して、ノウハウの知識の伝達が一様に及ばなかったという点です。後者の知識については、経験に基づく感覚的な要素が含まれます。概念的知識を理解していても、実践場面に上手に反映・還元させられる知識に変えていくことは難しいことです。スポーツで例えるなら、ラケットのスイング形態(フォーム)や野球のバッティング技術を正しく理解し、記述できていたとしても、必ずしもそのようにスイングできるとは限らないですね。それをできるようにするための方法の知識(教示・フィードバック法を含む)は別物であり、指導者の感覚的要素を伴うものです。このレベルの知識の伝え方が授業全般を振り返り、当方の大きな課題であったと認識しています。

毎回、授業に行くのが楽しかったです。今後とも懲りずによろしく!